新幹線清掃を7分間で終わらせる“おもてなし”集団働くこと、生きること(前編)(2/3 ページ)

» 2014年02月21日 08時48分 公開
[印南敦史,Business Media 誠]

異動先は評判の悪い職場。「あんなところに行くのか……」

電車や乗客の安全対策のプロとして歩んできた矢部輝夫さんは2005年に、異動を命じられた(撮影:織田桂子)

 ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。テッセイ入社から8年を経たいま、ようやく道筋が定まってきたといっても過言ではない。

 「1966年に国鉄に入社して以来、私は40年以上にわたってキャリアを積み上げてきました。安全対策課長代理、運輸車両部輸送課長、立川駅長、運輸部長、運輸車両部司令部長などを歴任してきましたから、いわば電車や乗客の安全対策のプロとして歩んできたのです。ところが2005年、鉄道整備株式会社(2012年に株式会社JR東日本テクノハートTESSEIに社名を変更)への異動を命じられたのです」

 その決定に対しては戸惑いも感じた。テッセイでの仕事は、それまでの「安全」とはまったく性質が異なるものだったからだ。

 「本音を言えば、異動を命じられたときは『あんなところに行くのか……』と感じたものです。それまでのキャリアを生かせるような仕事ではありませんでしたから。それに当時のテッセイは覇気がなく、トラブルも多く、どちらかといえば評判の悪い会社だったのです」

 とはいえ、やると決まったからには結果を出さなければならない。だからお掃除のおばちゃんたちと直で向き合って、時間をかけて思いを伝えた。

 「言い続けたのは、お客さまに気持ちよく新幹線をご利用いただき、かけがえのない旅の思い出をつくっていただくことが大切なのだというメッセージです。つまり、単なるお掃除の仕事とは違うんだということを懸命に伝えたのです。その結果、最初は『掃除が仕事なんだから、そんなことはできない』と反抗していた人たちにも少しずつ理解してもらえるようになりました」

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