なぜ新聞社にリストラが必要か。記者が減れば、報道の質が落ちてねつ造などがさらに起こるのでは……と心配になるかもしれないが、そうではない。今回のような問題の根底にもあるのは、記者の質などではなく、「朝日新聞」の官僚主義的体質だ。
一連の問題の対応を見てお気づきの方もいるかもしれないが、今回の『朝日新聞』の経営陣と瓜二つの人々がいる。世間の怒りをリアルなものとして受け止められない浮世離れした感覚。謝罪を口にしながらも言葉の端々からにじみ出る「愚かなみなさんにはわからないでしょうけれど」というような上から目線。そう、霞ヶ関の「高級官僚」である。
実際に指摘する人は少ないが、新聞記者と高級官僚というのはよく似た面がある。それもそのはずで、新聞記者は官僚のキャリアパスを真似しているのだ。
通常、全国紙の記者になると、まずは必ず“地方まわり”をさせられる。2〜3年で担当がコロコロ変わってしまう大手紙が報道内容で地元紙に勝てるわけがない。報道の質を落としてでもこのようなキャリアパスを維持する理由はただ1つ。同じく地方のどさ回りをしている若いキャリア官僚とお近づきになるためである。新聞記者からすれば高級官僚というのは最強のネタ元だからだ。
以前、某地方都市で警察キャップ(部署責任者)をしている同世代の記者と酒を酌み交わしていると、グチっぽくこんなことを言っていた。
「最近は取材なんてまったくしていませんよ。これまで赴任した先で仲良くなった官僚幹部を、社内の人間につなぐというコーディネーターみたいになってます」
官僚と記者は一緒に日本中をかけまわって、ともにそれぞれの組織で出世していく。20代に安居酒屋で日本の未来について激論を交わした記者と官僚が、その30年後にはかたや政治部長、かたや事務次官でズブ……いや、“仲良し”なんてことがこの世界では多々ある。
そんな合わせ鏡のような関係なので、ガチガチの官僚主義へと墜ちていくプロセスも非常によく似ている。
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