庶民の味方の象徴として、かつては全国で燦然(さんぜん)と輝いていたオレンジ色の看板が街中から消える。
スーパーマーケット大手のダイエーが11月26日に開いた臨時株式総会において、2015年1月1日付けでイオンの完全子会社になる議案が承認された。2018年ごろまでに「ダイエー」という名称がなくなることになる。
「流通革命」や「価格破壊」といった言葉に代表されるように、ダイエーが日本の小売・流通業界に与えた影響は大きい。ダイエーとは何だったのか。その成長と衰退の歩みをアビームコンサルティングでリテール・サービスセクター 執行役員/プリンシパルを務める梶浦英亮氏が振り返る。
小売業の盟主として一時代を築いたダイエーの屋号が2018年ごろをめどに消滅することになる。昭和のカリスマとも言われた故中内功氏が創業し、約60年続いたスーパーがその歴史に幕を閉じる。
1957年に大阪・千林で1号店を開店したダイエーは、中内氏の経営理念「価格は消費者が決める」「売り上げが全てを癒す」によって、それまで定価販売が当たり前だった小売業のあり方に革命的な変化をもたらして消費者の心を掴んだ。また、GMS(食品・衣料品・家具・家電と一店で何でも買うことが出来る業態)という業態や、SC(ショッピングセンター)という業態の日本での定着化を実現したのもダイエーである。
ただし、その歩みは困難の歴史であり、中でも「松下・ダイエー戦争」をはじめとしたメーカーとの対立は流通史に残る。それまでメーカーが「定価」と定めていた価格決定権が小売業に移るという大転換を成し遂げたのだ。
それ以外にもPB(プライベートブランド)商品を1961年に日本で最初に開発したり、小売業を全国展開したりなど、現在につながる業界の大改革を、中内氏の類いまれなカリスマ性でリードしていった。
1980年には小売業で初めて年間売上高1兆円を突破し、80年代後半にはプロ野球球団「南海ホークス」の買収や流通科学大学設立など、事業の多角化を推し進めた。しかし、その裏で本業の陰りが色濃くなった。
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