「私はシャルリー」に進軍ラッパ的な匂いを感じてしまう理由には、賛同する各国首脳の顔ぶれのせいもある。ロンドンの学生がツッコミを入れたように(参照リンク)、みなそろいもそろってジャーナリストを追放、拘禁、故意に殺害したという「表現の自由」と対極にいる面々だからだ。
ただ、そんないかがわしさもさることながら、なによりも「私はシャルリー」にしっくりこないのは、あれが370万人が熱烈な支持を示すような「表現の自由」だったのかという疑問があるからだ。
例えば、テロリストが「予言者の敵討ち」と怒った風刺画のなかには、予言者ムハンマドを真っ裸にして、四つん這(ば)いにしたうえで肛門に、イスラムでは「知識」を示す星型を描いたものがある。ご存じのように、イスラム教は偶像崇拝が禁止されているので、ダブルの意味でイスラム教を茶化しているわけだ。
エスプリ(フランス的精神)がきいた笑いじゃん、と腹をかかえるフランス人も多いのかもしれないが、個人的には、よくまあ日本人をレイシスト(差別主義者)だなどと批判できたもんだ、と驚いてしまうほどの「ペンの暴力」だと感じてしまう。
それはいくらなんでも言い過ぎじゃないのと思うかもしれないが、あえて「暴力」という言葉を使ったのは、このような風刺画というものが、文化・歴史・信仰の異なる他民族がなによりも大切にしているものを理解したうえで、それを徹底的に破壊してやろうという明確な意図をもって、執拗(しつよう)に発信されてきたという経緯があるからだ。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング