数年後、認知症患者は1000万人に? そうした社会で求められる価値観窪田順生の時事日想(4/4 ページ)

» 2015年03月03日 08時00分 公開
[窪田順生,Business Media 誠]
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認知症社会を解決するカギ

 そこで「言葉の言い換え」が重要になる。認知症を「本人にも周囲にも暗く重苦しいもの」ととらえると、徘徊老人がウロウロして、いたるところで認知症ドライバーの追突事故が起きている未来しか見えない。これを解決するには700万人を縛るベルトと、閉じ込める部屋と、アルツハイマー治療薬がどれだけ確保できるかという皮算用になっていくのは当然だ。

 しかし、これを「ポップに生きている人々」ととらえるといろんな未来が見えてくる。もちろん、そこには和田さんたちのようなサポートをする専門職が必要不可欠なので、彼らをめぐる労働環境の問題もあるが、少なくとも「認知症予備軍」とされているようなお年寄りの場合、これまで連想されたような「家族の重い負担」とか「背負う」というネガティブワードが出てこない社会との関わり方があるのではないか。

 例えば、高齢者福祉施設と保育園などが一体になった「幼老」複合施設などもっと注目を集めてもいい。少しくらい物忘れがあっても、子どもたちと一緒に遊ぶことはできる。子ども側も、遠くで暮らす祖父母以外に高齢者と触れ合うのは決して悪くない。しかも、高齢者の認知症ケアになる。赤ん坊や幼児の世話をしているようで実はその逆、幼児や赤ん坊に「介護」されているのだ。実際に、感情を失った認知症のお年寄りが赤ちゃんと触れ合うことで笑顔を取り戻したなんてケースも報告されている。

 世界初の超高齢化社会になるのは間違いないわけだから、従来のような考え方をガラリと変えないことには、「暗く重苦しい未来」しかないのではないだろうか。そんなことを考えながら、厚労省の「幼老複合施設」の資料をながめていたら、富山県にある「デイケアハウスにぎやか」という施設の活動理念に思わず目がとまった。

 死ぬまで面倒みます

 ありのままを受け入れます

 いいかげんですみません

 なんとも「ポップな生き方」ではないか。来たるべき認知症社会を解決するカギは実はこのあたりの「開き直り」にあるような気がする。

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