一軍登板なしの男がメジャー昇格! 村田透の“リベンジ魂”赤坂8丁目発 スポーツ246(3/4 ページ)

» 2015年07月02日 08時10分 公開
[臼北信行ITmedia]

巨人の“非情”事態

 しかし、そんな現場レベルの声も聞かずに費用対効果を重視していた当時の球団幹部の1人が「村田は戦力外」の断を一方的に下した。ドラフト1位入団の選手が一軍から1度もお呼びがかからないまま、わずか3年で解雇――。これは当時のメディアの間でも「非常事態」に引っ掛けて「巨人の“非情”事態」と報じ、大きな話題をかっさらった。

 「“ドラ1入団の選手ならば、たとえ芽が出なくても5〜6年は我慢して契約する”というのが、プロ野球界の暗黙のルール。それを反故(ほご)にしてしまったら、その球団は後々のドラフト候補選手から敬遠される可能性もあるからだ。そういうことも考えなければいけないのにたった3年でクビにしてしまうなんて、あれは異例中の異例といっていい処遇だった」と苦虫を噛(か)み潰しながら振り返ったのは当時の状況を良く知る巨人の球団関係者だ。

 そのくだんの球団幹部から通達を言い渡された村田は失意のどん底に陥ったまま、12球団の合同トライアウトを受験。そこでは集まってきた多くのメディアを前にしてぶ然とした表情で「(巨人では)ファームでもほとんどチャンスをもらえませんでした。正直、納得していません。『育成の巨人』というなら、もう少しチャンスが欲しかったですね。そう思っています」とぶちまけ、心の奥底にたまっていたうっ憤を晴らした。 

 これに大激怒したのが、当時の球団幹部である。仮にトライアウトでどこからも声がかからず再就職先が見つからなかった場合は村田に球団職員としての再雇用の道を用意していたが「あんな裏切り者はもうウチに必要はない」と一刀両断して、完全に縁切りしてしまった。「その話を伝え聞いた村田は『ああそうですか』とサバサバしていましたよ。自分は間違ったことを言ったつもりはまったくないという姿勢でしたね。まあ、もともと根が真面目で『バカ』がつくぐらい正直な人間でしたからウソをついてまで、相手に媚(こ)びてまで生き抜いていこうというつもりはなかったのでしょう」と前出の球団関係者は続けた。

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