ニッカ館には政孝親父が渡英したときに使ったパスポートや記念写真に交じって、古いノートが展示されている。これがいわゆる“竹鶴ノート”と呼ばれるもので、スコットランドの蒸溜所で学んだウイスキーづくりについて、イラスト入りで克明に記されている。
ニッカウヰスキーが独自のブレンデッドウイスキーをつくりはじめた「原点」ともいえる『ブラックニッカ』。現在も黒い瓶だが、バーなどのボトル棚でも目立つ存在であることに変わりはない。
リタおふくろが亡くなった翌年の1962年、政孝親父と共につくりあげた『スーパーニッカ』が発売された。これは、現在も私にとって特別なウイスキーである。
蒸溜所がある余市からウイスキーを運ぶには酒税がかかる。問題を解決するためにも関東に工場が必要になった。麻布という場所が選ばれたのは「関東というからには東京に建設しようではないか」という、政孝親父の提案によるものだった。
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