多死社会の入口で感じた「悲しくて楽しい」こと:郷好文の“うふふ”マーケティング(3/3 ページ)
最近、「生老病死(しょうろうびょうし)」を考える機会があった。「生まれる、老いる、病む、死ぬ」の4つ、必ずやってくる苦悩。今後増える「死」を楽しく語り合えることが大切なのだ。
多死社会に大切なこと
死はタブーでも隠すことでもない。生の敗北でも医療の敗北でもない。誰にも訪れる自然なことなのだ。
母の「湿っぽい霊園の中の葬儀場はイヤ、家族葬でコンパクトに送れ」と遺言どおりにした。葬儀場でお経を聴いているとリズムが心地よくなってきた。アップビートな曲で「踊って見送ろう」もありか。タンゴのCDをかけると病床の中でリズムをとった母にはぴったりだ。
以前、「ドクロの数珠を若者に――「祈りの多様化」に商機あり 」という記事でも書いたが、葬儀ももっとファッショナブルでいい。直葬+ホテルでお別れ会もいいし、お金がないならスマ婚ならぬ「スマ葬」(早くすまそう)でもいい。
なにしろたくさん死んでいくのだから、毎日湿っぽいのはたまらない。
こんなことを書いているが、実は葬儀が終わってもメソメソしていた私に、知人で絵本作家の加藤祐子さんが絵本をくれた。『わすれられない おくりもの』という本だ。
もの知りで、森のみんなにいろんなことを教えてきたアナグマが、トンネルの向こうに逝ってしまった。みんな悲しんだ。とりわけモグラはひどく悲しんだが、アナグマに紙の切り抜きを教えてもらったことを思い出した。カエルはスケートを教えてもらったことを思い出した。キツネはネクタイの結び方を教えてもらったし、ウサギは料理を教えてもらった。雪解けのころには、みんながアナグマに教えてもらったことを楽しく語り合っていた。
生老病死には楽しいこともいっぱいある。増える死を楽しく語り合えることこそ、多死社会に向かう私たちに大切なのである。
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