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「出会いで日本を良くしたい」――24歳、中毒からコンサルへ社会とネットとサービスと──SNSその1(1/2 ページ)

» 2005年04月27日 15時36分 公開
[岡田有花,ITmedia]

 中学生のころ。初めて考え付いたビジネスは、文通だった。文通したい人の手紙を集め、マッチングする有料サービス。知らない人同士が、別の誰かを通じて知り合うこの仕組みは、今思うと、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)に似ていた。

 「人と人を引き合わせるのが好きなんです。出会いには、パワーがあると思うから」――慶応義塾大学4年生の原田和英さん(24)は、100以上のSNSに登録する“SNS研究家”だ。SNS関連ニュースを毎日紹介するBlog「ソーシャルネットワーキング.jp」のオーナーであり、SNSのコンサルティングビジネスも手がける。

 「GREE」でつながっている友人は528人、「mixi」の友人「マイミクシィ」は492人。mixiで管理するコミュニティは150以上。「授業で隣に座った見知らぬ人に、『原田さんですよね、mixiでよく見ています』と話しかけられたこともあります」――今やちょっとした有名人だ。

原田さん

 SNSか寝るか食べるか――SNSと出会ったころは、そんな生活だった。

 2003年12月。以前留学していた米国の友人から、英語版SNS「MySpace」に招待されたのが始まりだ。休学して行った世界一周旅行から帰ってきたばかりの当時。4月の始業まで、持て余し気味の時間をネットで埋めていた。

 「これはすごい」――MySpaceにログインして驚いた。ネットといえば匿名が基本と思っていたのに、MySpaceではみんな本名と顔写真を出し、友人紹介までしている。友人同士がリンクでつながり、ネットワークが可視化されている――その機能に興奮し、友人と一緒に使ってみたいと何人か招待したが、英語サービスへの不信感からかなかなか登録してもらえない。「日本語版があれば」と真剣に考え、知り合いのIT企業の社長に日本語版作成を頼んだが、「今は無理」との返事。自分で作ろうにもPHPの知識が足りない――悶々と過ごしていた。

 3月4日、友人からmixiの招待状が届いた。待ちに待った、日本語版SNSの登場だ。その日から“mixi中毒”が始まった。

「起きている間、ずっとmixiやってました」

 mixiには、自ページへの訪問者が分かる「足あと」機能や、リンクしている友人(マイミクシィ)の日記が更新されると即座に知らせてくれる機能、友人のログイン時間を知らせる機能がある。これが原田さんを、PCの前に釘付けにした。

 朝、コンビニで1日分の食料を買い込み、家に帰ってPCを立ち上げる。パンをかじりながらmixiにログインし、自分の日記についたコメントにレスをつける。日記を書き、友人の日記にレスをつけ、足あとから自分のページの訪問者を訪ね、リンクをたどって面白そうな人に友人リンクを申請する。その間に誰かが訪問してくれば、その人のページを訪問し返し、日記が更新されればレスをつけ――インスタントメッセンジャーのように際限のなく繰り返されるレスの応酬から、1日中離れられない。「起きている間、ずっとmixiやってました」

 新機能も片っ端から試した。コミュニティ機能ができると、思いつく限りのコミュニティを作った。好きなメーカーやショップ、作家、音楽、エロ――「1日30個作ったこともあります」。今でも合計150以上のコミュニティの管理人だ。他のユーザーが作ったコミュニティも全部チェックし、面白そうなものにはすべて入った。所属コミュニティ数は、mixi側が上限を1000に設定するまでは、1000を超えていた。

 GREEに誘われ、入会したのも3月だ。友人の紹介文を書くのが楽しかった。当時のmixiにはなかった、「Amazon」のアフィリエイトを使ったレビュー機能にハマり、書評を100以上書きあげた。Amazonに直接書く書評と違い、「SNSの書評は“人ありき”なのが楽しい」。本と一緒に自分の人となりも知ってもらえ、興味ある人が読んだ本を知れる仕組みにはまった。

 春休みが明け、学校が始まっても、SNS中毒は治らなかった。「ゼミ試験の1時間前までmixiやってたら、落ちました」――大学の試験に落ちたのは初めて。さすがにヘコみ、7月の中間試験期間中は15日間「mixi断ち」をした。そうせねばならないほどmixiは、原田さんから時間を吸い取っていた。

好きが高じてコンサルに

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