この感覚を知ることは難しいと思いますが、もしあなたが何らかの趣味を持っていて、「この分野なら人に負けない!」と考える分野があれば、それを論じている記事をチェックしてみるといいでしょう。
単純な表記間違い、ごく狭い意見がまるで全体の意見のように書かれている、海外の状況を知らないなど、それが多くの人に向けたメディアであればあるほど、「まだまだ浅いな」と思えることが多いでしょう。
これは著者の力不足もあるでしょうが、「全ての記事は著者の専門外のことが少しずつ含まれており、その部分に曖昧さが残る」と考えた方が良さそうです。
自分の趣味の分野なら、「情報の不確かさ」を感じることができるかもしれません。しかし、専門外の分野では難しいでしょう。“悪意のある”フェイクニュースを見分けるどころか、“悪意のない”間違いな情報すら、私たちは見抜けないはずです。
そこで、次に私たちが心構えとして考えるべきは、「不確かな情報はシェアしない」ということです。もちろん、自分の趣味の分野でどんぴしゃりな情報があれば、どんどんシェアすべきでしょう。
でも、そこに少しでも不確かさがあると感じたら、グッと我慢すべき時代が来たのではないかと私は思います。フェイクニュースも、「シェアされて初めて成功」ですから、その過程を断つことが重要です。
特に、それが「シェアしたくなるような内容」であればあるほど、グッと我慢すること。例えばTwitterに画像が4枚ついていて、ぱっと見てワッと思う的な脊髄反射系ニュースは、あなたがシェアしなくても誰かがシェアしてしまうでしょう。あなたが加担する必要はないはずです。
そして、もしそこまで人を引きつける、センセーショナルなニュースだったとしたら、必ず「大手メディア」が取り上げるはずです。大手メディアの中には多数の目があります。
個人よりは、フェイクニュース判別に強い組織が出した情報ならば、より確かなものであるはずです(もちろん、大手メディアがフェイクニュースを意図的に出す可能性も否定できませんが)。
ネットの記事だけでなく、全ての情報に対して身構えること。もしかしたらフェイクニュースかも? と感じることが、重要になったのかもしれません。フェイクニュースに立ち向かうFacebookは、「フェイクニュースに対抗する10カ条」を掲載しています。まだ日本語訳されていませんが、簡単に訳してみました。ぜひ、読んでみてください。
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