ゲームの世界で、名作は数あれど新たなジャンルを確立させた作品はそれほど多くはない。その中でカプコンの「モンスターハンター」シリーズは”狩りゲー”の元祖とされる作品だ。仲間と協力してモンスターを狩り、手に入れた素材を使って武器や防具を強化していく。このジャンルはまず日本で定着し、いまや世界中に広がっている。シリーズに当初から携わり、発展に大きく貢献したのがプロデューサーの辻本良三さん(50)だ。
1作目は2004(平成16)年にソニー(現ソニーグループ)の据え置き型ゲーム機「PlayStation 2」で発売された。当時は協力プレーに必要な通信環境を用意するハードルが今と比べて高かったが、「その分、熱量を持ったユーザーが多く、新しいコンセプトを受け入れてもらえた」と振り返る。
大きな転機となったのは、無線通信機能を有したソニーの携帯型ゲーム機「PlayStation Portable」の発売だ。特別な機器も設定も不要で、たとえ屋外であっても集まるだけで最大4人での協力プレーが可能になった。08年に発売し、大ヒットタイトルとなった「モンスターハンターポータブル2ndG」は「ひと狩りいこうぜ」というシリーズを象徴するセリフを生み出した。
「友達の家に集まってわいわいゲームを楽しむことが減っていた時代に、その楽しさを経験してもらうことができた」
携帯機でのヒットは「コミュニケーションが生まれるゲームであってほしい」というシリーズの思想を体現する結果となった。
ただ、世界市場では苦戦が続いた。2ndGの累計出荷本数は400万本を超えるが、大部分は国内で海外は一部にとどまった。その後も国内中心の時代が長く続いたが、18年に送り出した「モンスターハンター:ワールド」が世界を席巻することになる。
約9年ぶりの据え置き機での発売となったワールドは3日間で全世界での出荷本数が500万本を突破。ゲーム専用機だけでなく、PC版の発売がヒットに拍車をかけ、累計販売本数は2000万本を超え、カプコン史上最も売れたタイトルとなった。
「その時代の最新技術を使った世界で戦えるモンハンを目指した」といい、対応機器を使えば高精細な「4K」や現実に近い明暗差を表現する「ハイダイナミックレンジ」(HDR)でのプレーも可能で、映像面でも妥協を許さなかった。「初めてモンハンを遊ぶ人が楽しめるように」と考え、海外向けのテストも行い、モンスターに与えたダメージの数値表示も新たに取り入れた。
もちろん世界観も作り込んでおり、「モンスターのこの骨格ならこういう動きをするだろうとか、この生態系の中ではどちらのモンスターが強いといった細部にこだわった」という。その結果、海外ユーザーが劇的に増加し、モンハンがこだわり続けるゲームを通じたコミュニケーションは世界中へと広がった。
そして25年には完全新作「モンスターハンターワイルズ」の発売を控える。内容については「自然の荒々しさと豊かさの二面性を表現したものになる」とするにとどめたが、常に新しいモンハンを生み出すための挑戦は続いている。
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