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» 2010年10月19日 12時07分 公開

第41鉄 夏の青春18きっぷ旅・最終回 富士山外周、山北駅のD52とB級グルメを訪ねる杉山淳一の+R Style(4/6 ページ)

[杉山淳一,Business Media 誠]

吉原、岳南鉄道、最後のワム80000が佇む

 再び列車に乗って沼津へ向かう。列車は酒匂川に沿っている。茶色ににごった濁流で、上流はきっと豪雨だろう。遠くを見渡すと山に霧がかかっている。残念な景色だけれど、途中でJR東海の試験車両とすれ違うなど退屈しない。晴天なら御殿場あたりから、右の車窓に富士山が見えるはず。しかし残念ながら今日の富士山は霧の向こうだ。左の車窓は箱根の山の中腹まで見えている。

 御殿場駅は富士山と箱根観光の基地である。ここで乗客がごっそり降りて車内が寂しくなった。垂れ込めていた雲が少しずつ薄くなり、青空も見え始めた。近いところに視線を移せば、線路沿いの看板の様子が変わってきた。御殿場までは観光要素のある看板を見かけたけれど、このあたりは病院の看板だらけだ。御殿場線の終着駅、沼津で東海道本線と合流した。広い構内には留置線が数本あって、JR東海版の『あさぎり』号、371系電車が佇んでいた。小田急電鉄の御殿場線乗り入れの歴史は古く、1955(昭和30)年からだ。当時の御殿場線は非電化だったため、小田急電鉄はわざわざディーゼルカーを製造したという。

 次に乗る身延線は富士駅が起点。沼津から東海道線で5つめの駅だ。その5つの駅の1つ、吉原駅に注目してほしい。この駅から小さな私鉄「岳南鉄道」が出ている。終点の岳南江尾までは9.5km。沿線に製紙工場が多く、貨物列車も走っている。その貨車が昔ながらの有蓋車だ。形式名をワム80000形という。現在、貨物列車と言えばコンテナが主流だが、昔は貨車と言えばワムが主役だった。私がこどもの頃は、茶色のワムをたくさん繋いだ貨物列車をよく見かけたものだった。しかし、有蓋貨車はどんどんコンテナに置き換えられた。

東海道線吉原駅。製紙運搬で知られる岳南鉄道の駅が見える

 かつて2万6000両も作られたワム80000形は、いまや400両以下になっているという。運用されるルートも2つだけ。新潟県から東京へ、そしてここ吉原から大阪へ。どちらも積み荷はロール紙だ。ワムは文化の源、大都会で消費する紙を運び続けたのである。しかし、10月4日からは新潟 - 東京便のロール紙輸送がコンテナに置き換わったという。吉原のワム80000形も時間の問題だ。吉原駅、そして富士駅に停まっていたワム80000形を撮影した。無骨で飾り気がなく、いかにも仕事をしているという風貌。ワム80000形は私にとって、もっとも貨物列車らしい貨車であった。また昭和がひとつ消えていく。最後のワム80000形が発車する前に、もう一度岳南鉄道を訪れたい。

富士駅で見つけたワム80000形。フォークリフトで積み込むために間口を大きくした2軸貨車で、幅広く物品輸送に使われた。晩年はロール紙輸送で活躍。富士吉原地域が最後の活躍の場になったようだ

身延線、製紙の街とB級グルメ

 富士駅から身延線に乗り換える。相変わらず富士山は見えず。しかし、車窓にはこの地域独特の風景が広がっている。大手、中小企業の製紙工場がいくつも並び、それらの工場の設備を請け負う鉄工所があって、罫紙用インク工場もある。もちろんそれらの工場で働く人々の住まいもあって、大産地の様相だ。富士はもともと和紙の原料「ミツマタ」の産地だったという。そのルーツは平安時代まで遡るといい、鎌倉時代から "駿河半紙" のブランドが確立した。その後、日本の文化の発展と連動するようにミツマタを増産し、富士山からの水の恵みもあって製紙業が発展していく。

 製紙工場は鉄道貨物のお得意様で、JR沿線では製紙工場をよく見かける。苫小牧や室蘭などは巨大な城のような工場がある。しかし、身延線沿線のような製紙関連だけの工業地帯は珍しいと思う。それは紙の町としての歴史に起因している。明治時代以降の、大企業が空き地を探して工場を構える、という構図とは全く異なるのだ。

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