この先の御殿場付近では20パーミルを超える。そうなると、気合いだけではどうにもならない。蒸気機関車を2台、3台とつないで、力を合わせて上らなくてはいけない。黒くて巨大な蒸気機関車は、見るものに力強い印象を与えるが、電気機関車や電車に比べると、意外にも登坂力は弱い。大井川鉄道のSL列車も、数両の客車を引くために電気機関車を添えなくてはいけない(参照記事)。峠の迂回路である御殿場線も、当時は難所の1つだった。
その難所の名残とも言うべき駅が山北駅である。ここから先が急勾配区間になるため、下り列車には補助用の機関車を増結し、上り列車の機関車を切り離した。スピードアップのため、走行中に補助機関車の切り離しを行うという神業も行われたという。山北は、そんな軽業師と峠の機関車の基地であった。山北駅周辺は、そこに勤務する鉄道員たちのおかげで形成された町。門前町ならぬ "駅前町" であった。多数の機関車や整備場があったという構内は縮小されていて、一部は住居や公園として整備されている。その公園に当時の蒸気機関車が保存されているという。
駅舎を出ると左右に商店街が延びている。左の道を進み、さらに左に折れて線路沿いを伝っていく。地面が高く、線路が低い位置にある。線路の勾配を緩めるために切り通しを作ったのであろう。その線路の向こうに小さな公園があって、蒸気機関車の姿も見えた。緑に囲まれた、まるで庭園のような橋を渡る。ここからだと通過する列車がよく見える。時刻表をめくると、新宿行の特急『あさぎり』が来そうだ。カメラを構えて待ち続けて数分後。流線型のスマートな電車が足元を通り抜けた。山北駅も通過していく。松田駅付近から短絡線を経由して小田急線に入り、新宿へ行く列車である。
公園に保存されている機関車はD52型だった。Dは動軸が4つ、50番台の数字は炭水車を連結した大型機関車を示す。D52は蒸気機関車の代名詞ともいうべきD51(デゴイチ)の改良型で、国鉄史上最強の機関車であったという。ボランティアのお年寄りが清掃作業をするなか、別の老人が鉛筆で機関車の絵を描いていた。私はその回りで遠慮がちにいくつか写真を撮り「お邪魔しました」と挨拶して辞去した。屋根のかけられたよい環境で保存されていたけれど、写真に収めようとすると屋根と柱が邪魔になる。帰りがけに鉛筆画をちらりと覗くと、そこには屋根も柱もなく、今にも走り出しそうな機関車の姿があった。
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