Interview:重松象平「チャーリー・コールハース建築写真展」(3/3 ページ)

» 2012年01月10日 14時42分 公開
[加藤孝司,エキサイトイズム]
エキサイトイズム
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―― 具体的ビジョンはどのように示すべきだとご自身はお考えですか

 グランドビジョンを描くときにどうしても統一的になったり、単純化してしまいがちです。僕は日本の国土の安全性と、インフラの整備を根本的に問い直して、都市の再定義を進めるべきだと思っています。そのようにある程度曖昧でも良いのでみんなが共有できるようなイメージを持つことによって、東京やニューヨークといったこれまでとは違う別の価値観をもった都市のビジョンが生まれてくるのではないかと思うのです。

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―― メタボリズムが衰退した背景には、国や政治との関係が希薄になってしまったことがあると思います。経済が好調なときは良かったのですが、経済が落ち込んでいくなかで政治とうまくパートナーシップを築けなくなってしまった。衰退してしまった理由はどのようにお考えですか

 政治とのパートナーシップの問題もそうですが、それ以外に新陳代謝するというメタボリズムのメタファーにとらわれすぎてしまったというのがひとつはあると思います。建築はどうしても一度作ってしまうと、物理的に変えることは容易ではありません。実際に都市のなかで変わっていくものって、機能であったりアクティビティであったり、建築自体ではありません。今回、森美術館の展覧会を見て思ったのですが、メタボリズムにおいてはすべてが建築的過ぎたのだと思います。

 皮肉にもメタボリズムの思想がもっとも表現されたのは、1970年に大阪で行われた日本万国博覧会だと思います。テンポラリーな建物で、さらに万博という公共を意識した機能をもち、お祭り広場のようなさまざまなイベントが開催されるパブリックスペースを中心として持っていた。つまり万博自体がテンポラリーなものだっただけに、都市のなかではなかなか説得力をもたなかったメタボリズムの言説と適合したのだろうと感じました。

 中国に行くとひしひしと感じるのですが、高度経済成長期における国民全体が近代化を求める高揚感は迫力があります。建築家もその高揚感を体現して社会との接点をたくさん生み出します。ですが、それがひとたび衰退すると建築家の立場というものは弱くなります。日本の場合はオイルショック以降の経済状況が思想の説得力の低下にもつながったのだと思います。

 今は回顧されていいイメージが強調されがちですが、結局メタボリズムはモダニズムの延長線上にあったので、都市における生活環境を著しく改善したわけではありません。

―― それは現在の西新宿の超高層ビル街の衰退具合を例にみるまでもなく、モダニズムが超高層ビルをつくっても、人間の暮らしを良くしたとはいえない、というのと同様なことですね

 そのことを国民はよく分かっていたんじゃないでしょうか。でも実質的に新陳代謝をしている計画もあると思います。槇文彦さんの代官山・ヒルサイドテラスは、おおまかな街区形成や雰囲気づくりを建築が担っていますが、周辺環境に今でも豊かな変化があります。最近では近隣にT-SITEができましたが、もちろんヒルサイドテラスがあったからこそあのような構成になったのだと思います。

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―― そう考えるとメタボリズムといっても建築単体ではその本質は語れないということですね

 そうです。結局、日々新陳代謝をしているのは、環境もふくめ人と、そこでのアクティビティであって、建築ではありません。建築的な言語だけでメタボリズムの意義をコミュニケートしようとしてしまうと、どうしてもリアリティをともないません。

 多分メタボリズムが世界的に再注目されている理由は、個性の強い個人が集まった建築家集団と国がビジョンを共有して国家的規模でその実現に邁進していたという、現在では実現が難しいコラボレーションのありさまへの再評価なのではないでしょうか。

―― メタボリズムの時代と比較して、現在の日本の都市の状況と建築への評価はどのように変わったと思いますか

 1970年代くらいまでは建築家も積極的に東京のような都市をいかにつくるかということに関わってきたわけですが、今や都市はもう制御不可能なものになってしまったというのが定説です。それが都市から建築家は撤退していき、もっと私的な方向にいくという流れをつくりました。

 ですが、極めて私的な建築をつきつめてきた結果、メタボリズムのようなムーブメントとしてではないのですが、今日本の建築界は世界的にも注目されています。それはそれで皮肉な結果ですが、大事なのはメタボリズムを含め歴史的に存在した多様性を認識し、単一的な価値観を次の世代に押し付けないことだと思います。そしてもう一度建築家が都市、国土やビジョンを形成することに関わっていくことを意識することが必要だと感じています。

重松象平(しげまつ・しょうへい)

OMA(Office for Metropolitan Architecture)パートナー、ニューヨーク事務所代表。1973年福岡県久留米市生まれ。1996年九州大学工学部卒業後、オランダ・ベルラーへ インスティテュートを経て、1998年よりOMA勤務。現在、OMAパートナー兼ニューヨーク事務所代表を務める。主の担当作品は、ニューヨークのホイットニー美術館拡張計画、北京中国中央電視台(CCTV)新本社屋、深セン証券取引所新社屋など


「Metabolism Trip」チャーリー・コールハース建築写真展

ギャラリーここ 東京都渋谷区恵比寿南2-8-13 キョウデンビル2階

開催中〜1月15日 Open.12:00〜18:00


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