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著作権の未来はどこにある?(2/2 ページ)

» 2004年02月10日 11時44分 公開
[小寺信良,ITmedia]
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 これはある意味、天からつるされた蜘蛛の糸にみんながすがりついて今にも切れそう、といった状況にあると言えるだろう。これに対して米国企業が積極的にフェアユースの方向性を模索するのは、元々個人的複製権のような例外がないため、合法的にもぎ取っていくというところに行動原理があるからだ。つまり権利者側からの譲歩を引き出すという、本筋論で動いている。この差は大きい(*2)。

著作権のそもそも論

 多くの著作物は、個人によって作られる。そしてそれを広く頒布するのは、大きな資本の会社組織が必要であったわけだ。その関係は、そのまま黙っていればそりゃあ金持って人数多い方が有利になるに決まっている。もともと著作権法の意味は、社会的弱者になりがちな、著作物を制作した者を保護するために存在するのものである。

 だがその基本原則も、30年を経る間に徐々に変質している。例えばわれわれ一般市民が行なう私的複製に関しても、著作権者を保護する仕組みがあるのをご存じだろうか。映像録画用DVDメディアなどに課せられている「私的録画補償金制度」である。これは1992年の著作権法改正によって作られた制度だが、本来は録画したコンテンツの著作権者に利用料を支払うのが筋であるところを、それでは大変だからとまとめてSARVH(私的録画補償金管理協会)のもとに集められ、権利者に「分配」される。

 富の分配には、太古の昔から常に矛盾を伴うものだ。これらの集められたお金は、誰のどの作品に対して支払われた対価なのか、まったく関与していない。それは制度によって決められた、あるいはその所属団体が独自に策定したパーセンテージによって、権利者に分配されるというのが実態だ。

 意地の悪い見方をすれば、収益が上がったヒット作品は、それだけ多く録画されただろうということで、取り分は多くなる。一方収益はそれほどでもないが、放送されれば大抵録画されるという地味な作品があったとしても、取り分はほんのちょっとだ。太った豚はますます太り、やせたオオカミはますますやせるという図式なのである。

 ちゃんと調査すれば、案外こんなアバウトな方法でも実態に近いのかもしれない。だが上記のようなレアケースの場合にまで、正確に分配できている保証はない。

 今後レコーダーのIT化が強まり、米TiVoのように「ジャネット乳」が何回リピート再生されたかぐらいまで把握できるようになってくれば、どの映画がどれぐらい録画されたかの偏差をはじき出すことは難しいことではなくなるだろう。

 著作権者に対して正確な富の分配を行なうことも、技術的には不可能ではなくなりつつある。だが世の中には常に、制度の曖昧さをもって太ってきたヤツが存在するのも事実だ。その画期的改革が積極的に推進されることは、おそらくないだろう。

法は誰を何から守るのか

 こうして考えると、著作権法も「デジタル」という技術革命を踏まえた上で、もう一度考え直した方がいいという時期にさしかかっている。少なくとも個人的複製に関しては、30年前とは事情が違うのは当然だ。基本原則は変わらないにしても、現在のように字ズラの解釈論になってしまうのでは、法律を遵守しようとするわれわれ消費者も、どう行動すればいいのかわからなくなってしまっている。

 このような現状をふまえ、著作権法は改正に向けての動きを強めつつある。文化庁の諮問機関である文化審議会著作権分科会では、「文化審議会著作権分科会報告書(案)」を取りまとめた。

 著作権法を単純化してわかりやすくしようという方向性は、正しいと思う。だがその一方で、音楽CDの輸入を止めてしまおうというような物騒な権利も新たに検討され始めているなど、「著作権法で守る」対象が“著作権者”ではなく、実際には“流通業者”であるという図式がより進行しつつあるという事実は見逃せない。

 筆者もコンテンツを日々作り続ける著作権者の一人として存在するわけだが、なーんか自分のあずかり知らぬところで自分をダシに流通がもうかる仕組みが着々と出来上がっていくところに、なーんか違うんじゃないか感を覚える。どんなに頑張っても、結局オレのもうけは据え置きみたいな。

 ピーター ガブリエルやブライアン イーノの気持ちも、少しわかる気がするのである。

小寺信良氏は映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。


*2 (編集部注)日本の著作権法では私的複製の例外(30条)のほか、図書館等における複製、教科用図書等への掲載、プログラムのバックアップのためのコピーなど、30条から50条までを「著作権の制限」として具体的に例外規定を挙げる形式を採っている。

 一方、米国著作権法では著作物の私的利用・公共的利用に関して個別の具体的な例外規定を設けてはいない。107条でニュース報道、教育、研究などのための複製は著作権の侵害にならない、と大まかな枠を設定した上で、“フェアユース(公正使用)”という基本理念を持ち出している。これは使用の目的および性格、著作物の市場価値に与える影響などから勘案してフェアな利用法かどうかを判断するというもの。利用者と著作権者間で論争があった場合は、裁判所がこのフェアユースに適うかどうかという観点からその都度判断を下し、その判例の積み重ねが、「著作権制限」の実質的なガイドラインとなる。

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