余命3カ月、あなたは何をどんな優先順位で実行しますか?夫婦で始める“エクストリームコミュニケーション”(2/3 ページ)

» 2011年04月18日 17時10分 公開
[シックス・アパート 中山順司,Business Media 誠]

テーマ123:最後の晩餐、何を食べたい?

 では次のテーマ。最後の晩餐(ばんさん)には、何を食べたい?

 そういう状況ってあるのかしら? 翌日に処刑されるとかいうケースじゃない限り「これが最後の晩餐だ」って自覚できないような気がするんだけど。

 その通りだね。厳密には、死刑囚にも最後の晩餐はないんだって。死刑執行の当日早朝、つまり執行の数時間前にいきなり知らされるらしいよ。以前は執行を死刑囚に前日に知らせて、最後の晩餐が用意されていたのだけど、死刑囚が自殺を図ったり、凶暴な行動を起こすことがあって、改められた経緯があると『モリのアサガオ』に書いてあった。

 そうなんだ……。限りなく起こり得ない状況であることは分かったけれど、話し合う意味はありそうだから、話してみようか。じゃあ私から。とりあえず、麺類はナシでお願いします。

 何それ?

 麺類よりコメ系が好きだから。別にグルメ三昧したいわけではなくて、自炊でもいいよ。とくにこだわらない。で、あなたは?

 そうだなあ、死ぬ前日にステーキや豚カツってのも何だかなあ。お寿司にしようかな。たまに行く100円均一じゃない回転寿司がいい。

 お寿司、いいね。私もそうする。

 でも、ただ外に食べに行くだけだと、物足りない気がするんだよね……。味気ないっていうか、この上なくしんみりするっていうか。

 そうね。何を食べるかよりも、誰とどう食べるかのほうが大切よね。

 メニューは二の次だと思う。例えば、外食するんじゃなくて、ケータリングをつかったホームパーティーにして、親しい友人や家族を招いて、思う存分食べてもらうのはどうだろう。

 そうか、お寿司パーティーにすればいいんだ。

 回転寿司でさ、寿司職人の派遣ってあるじゃない? 小ぶりの回転レールセットと職人のおじさんが家に来て握ってくれるっていうサービス。ちょっと値段は張るけど、最後の晩餐なら、アリな気がする。

 あった、あった。ぜひ利用しよう。握りたてをお客さんに食べてもらえるしね。

 お客さんをしんみりさせたくないよね。死ぬ本人が一番あかるくはしゃいで、おもてなししよう。来てくれた人が「楽しかったなー」と思い出に残るような、そんな食事会にしたい。

 賛成。じゃあ、どちらが先に死ぬにしても、最後の晩餐は、回転寿司職人出張サービスを利用したホームパーティーを開催するってことに決まりね。

 久しぶりに、お互いの意見が一致したね。


 今回、唯一笑顔で話せたテーマでした。明日死ぬということが分かった状況ならば、もはやジタバタすることもないでしょう。落ち着いて死を受け入れているとは思います。余命判定が出た場合、これはやろうとリストに加えておきました。


 最初はメニューを吟味していたのですが、どこか腑に落ちないところがありました。「誰と、どこで」という発想に切り替えた途端、話が加速。最後の晩餐は、味云々ではないような気がします。


テーマ124:自分の命、子供のために犠牲にできる?

 これもちょっとあり得ないシチュエーションなんだけど、子供の命を救うために、自分の命を犠牲にしなければならないとして、あなたは子供のために命を差し出す?

 あたりまえでしょ。それにしても、どんなシチュエーションよ?

 例えば悪魔とか怪人が「子供の命を助けたければ、お前の命を差し出せ!」って迫ってきたとしよう。

 そんな状況、絶対ないよ。

 まあまあ、話し合いましょう。

 「子供の命」と「自分の命」の二者択一を迫られたら、フツーの親なら自分が犠牲になるでしょ。

 僕もそう思う。

 だって、わが子でしょ。そうしない親がいることが考えにくいよね。どんなわがままな親でも、身勝手な親でも、もっと言ったらモンスターペアレントでも、わが子の命より大事なものってないと思うよ? そうじゃない親がいたら怖いけど。

 そりゃあそうだ。

 だったら、これ以上話し合うことってなくない?

 じゃあ、血がつながっていない子供のケースならどう? つまり、再婚相手の連れ子だったら死ねるだろうか? 例えば「17歳の高校2年生男子。まだキミをお母さんって呼ばず、目も合わせてくれないよそよそしい子」だったら、どうよ? 申し訳ないけど、僕なら悪魔にタイムアウトを要求するかも。

 厳しいところを突いてくるのね……。躊躇(ちゅうちょ)したい気持ちにもなるかなあ。でもね、再婚相手に連れ子がいることを承知した上で一緒になる決断をしているのだから、やっぱり家族として考えるべきだと思わない? 連れ子のために死ねないのなら、再婚そのものを考え直した方がいいのかもしれない。

 なるほど、そういう考え方もあるか……。

 それと、血がつながっていないにしても、養子として幼いころから育ててきたなら、迷いなく私が死ぬよ。それはもう完全な親子だと思うのよ。血のつながりは大事だけど、すべてじゃない。

 僕も、それには全面的に賛成。

 これもあり得ない状況だけど、例えば家族が乗った小型飛行機が飛行中に故障して、墜落するしかなくなったとする。で、全員分の脱出用パラシュートがなかった場合を考えてみて。

 ふむふむ。

 それを誰に使わせるか(助からせるか)っていう状況に置かれたときなら「私を母と呼ばない、再婚相手の17歳高校生の連れ子」であっても、パラシュートを譲るね。

 うーむ、究極の状況だね。死ぬのは怖いけど、若い者に生き延びてもらうのが、僕もスジだと思うな。まあ、腕力勝負でパラシュートを奪いあっても、高校生に勝てる気がしないけど。

 むしろ、家族同士なら奪い合いじゃなくて、譲り合いになってしまう可能性の方が高いよ。「あなたが使いなさい」「何を言ってるんだ、母さんこそ助かって」ってやっているうちに墜落して全滅したら、最悪のパターン。

 子供をいかに説得させるか。それも短時間で。こっちのほうが難しい問題かもしれないね。


 母というものが、わが子に向ける無償の愛情――それをガツンと見せつけられました。自分の命を犠牲にしてまで、子供(血のつながりに関係なく)を守る執念と意志の強さには改めて感心。その強さには、かなわないなとも実感しました。


 やや現実離れしすぎたテーマではありましたが、これを「自分の臓器(片方の腎臓とか)を、子供のために提供する」と置き換えてみると、誰にでも起こり得る現実味を帯びてきます。


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