つまり、日本の報道が萎縮している、息苦しい云々というのは、権力の圧力がどうとかこうだとかいう話ではなく、欧米がとっくの昔に放棄した「中立公平」にいまだ縛り付けられていることの不自由さなのだ。
この呪縛から解き放たれるためには、影響力のある大物ジャーナリストにぶっちゃけてもらうしかない。そこで冒頭のみなさんだ。日本のジャーナリズム発展のため、「偏向報道許せ!」ではないが、こんな宣言をしてみるというのはどうだろう。
「ジャーナリストは偏ってナンボだ」
偏るのが当たり前になれば、国民は個々の判断でジャーナリストを選ばざるをえないので、報道に対するリテラシー力が磨かれる。
報道側にも悪い話ではない。立場を明確にすることができるので、「朝日」なんかも「トイレをつまらせよう」なんて暗号みたいな話ではなく堂々と反政府運動の呼びかけを行える。偏るのが当たり前になれば、放送法第4条の「政治的公平であること」も有名無実化して改正されるかもしれない。そうなれば、テレビの報道の「萎縮」も解消される。
「もっとオレたちを大事にしろ」と怒っているだけではジャーナリズムの復興はない。いい加減そろそろ、自分たちが変わる必要に迫られているのではないか。
テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経て現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌へ寄稿する傍ら、報道対策アドバイザーとしても活動。これまで100件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行う。
著書は日本の政治や企業の広報戦略をテーマにした『スピンドクター "モミ消しのプロ"が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)など。『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。
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