身につけて疲労回復 新たな市場を開拓する「リカバリーウェア」とは?高井尚之が探るヒットの裏側(4/6 ページ)

» 2016年04月27日 08時00分 公開
[高井尚之ITmedia]

1枚も売れなかった介護用マットレスをリカバリーウェアに

 リカバリーウェアは当初、スポーツ用品ではなく介護用品として開発された。その開発秘話には、同社の試行錯誤と不屈の精神が詰まっている。

 親族に個人事業主が多い環境で育った中村氏は起業家をめざし、大学卒業後に「3年後の独立を認めてくれた」介護施設の運営・コンサルティング会社に入社。2005年、25歳のときにベネクスを設立した。前職時代に寝たきりの高齢者の「床ずれ」問題を知り、それを予防するマットレスの開発をめざす。製造方法を模索する中、鉱物が発する遠赤外線と副交感神経の関係に着目、後にPHT繊維に結実したナノ微粒子の繊維開発に乗り出したのだ。

 だが、前例がないため研究所は門前払い。約30軒も断られ続けた。諦めかけたところ、各種ナノ素材を開発する東京都内の会社が「若くて変なヤツがきた」と面白がってくれて共同研究がスタートという。こうして8カ月後、ナノプラチナなどの鉱物を一定の割合で配合した新素材が完成した。

 新素材は完成したが、今度はそれを糸に織り込む繊維工場が見つからない。大手から中小まで「できない」の一点張りだったが、ある工場の昔気質の社長が「どこにも断られたのなら、オレがやるしかないな」と引き受けてくれたという。簡単な開発ではなかったが機械を改良するなど工夫した結果、糸に織り込むことに成功しPHT繊維ができた。

 そして、2007年5月に同繊維を使った介護用マットレスを発売。しかし、10万円という高価格帯になってしまい1枚も売れなかった。低迷時期は介護商品の販売代行などで食いつないだという。

 マットレスが販売不振で失意のなか、余った繊維でTシャツを作り、翌2008年5月に展示会の「身体を癒す」コーナーに出展。介護の仕事で疲れる介護士の疲労回復を促すウェアとして展示した。これが大手フィットネスクラブ・ゴールドジムのバイヤーの目にとまる。米国発祥の同ジムは世界30カ国、約300万人の会員を持ち、国内は約60拠点に展開するフィットネスクラブだ。

 同ジムのバイヤーから「自らの限界に挑みトレーニングするアスリートは疲労がたまり、身体はボロボロになる。疲労回復するのならジム内の売店で販売したい」との申し出を受け、翌2009年1月に同ジムの原宿店と表参道店でTシャツをテスト販売した。ただし当時の商品名は「ケアウェア」という名前だった。「まだアスリート向けの疲労回復ウェアに絞るか迷っていたので、介護商品っぽい名前をつけていました」(中村氏)。

 ところが商品を使用したジムのトレーナーが絶賛し、会員からの高評価も相次ぎ、同ジムでの本格販売が始まった。その後、会員でリカバリーウェアを着用したボディービル選手が軒並み大会で好成績を挙げ、商品が選手仲間にも広まるなど、一気に追い風が吹いてきた。同年8月には神奈川県、東海大学の産学官連携事業として運動後の疲労回復研究・開発を強化し、2010年2月から商品名をリカバリーウェアに変更するとさらに販売数が拡大。伊勢丹新宿店のスポーツ用品売場など販路も広がり、今日の躍進につながったのだ。

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