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» 2017年07月25日 08時00分 UPDATE

スピン経済の歩き方:「ゾンビ」がショッピングモールに集まる深い理由 (3/4)

[窪田順生,ITmedia]

「生きる屍」をめぐる人間ドラマを描く

ゾンビ3部作のひとつ『死霊のえじき』

 映画『ゾンビ』とともに、後の映画人に多大な影響を与えたゾンビ3部作のひとつ『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』ではベトナム戦争を連想させるような「人間の醜さ」、『死霊のえじき』(原題DAY OF THE DEAD)では当時のレーガン政権下、「右傾化」した米社会への警鐘が込められている、とも言われている。

 また、2005年の『ランド・オブ・ザ・デッド』では、ゾンビと生存者の戦いを描きつつ、そことは無縁の富裕層も登場。「格差社会」を批判するだけでなく、これまでのように人間の「敵」とされてきたゾンビ側の苦しみにも理解を示すようなストーリーとなっている。これを9.11以降に始まった「テロとの戦い」に対する違和感のあらわれだとみるファンも多い。

 なぜ醜い姿をした死人の群れであるにもかかわらず、我々はゾンビの存在に魅せられるのかというと、そこに直視したくないが、認めざるを得ない「時代の現実」が投影されているからだ。

 そんなの考えすぎだろ、という声が聞こえてきそうだが、ここ最近の日本社会では、あてなくさまようゾンビの姿とピタッとハマる「時代の現実」が山ほどあふれている。

 その代表が、「社畜」である。

 実は社畜という概念自体はバブル真ただ中の1990年に生まれた。当時は「リゲイン」のCMで歌われたような「24時間戦えるジャパニーズビジネスマン」という意味合いで、そこまでネガティブな言葉ではなかった。絶対的な滅私奉公を強いられるものの、それに見合うだけの対価も得られたということもあったかもしれない。

 しかし、この「失われた20年」を経て、ブラック企業問題が注目されるにつれ、現在のように悲壮感漂う「搾取される一方の奴隷的労働者」という概念へと変わっていた。

 このような社畜のマイナスイメージが定着していくのと歩調を合わせるように、コンテンツとしてのゾンビの人気は高まっていく。

 これは、理性なくただ街を徘徊する「生きる屍」の姿が、働く目的や生きる意味を見失いながらも満員電車に揺られて、社内を徘徊する我々の姿と妙に重なってきたからではないのか。つまり、「日本は世界一豊かな社会だと言いながら、実は我々は『奴隷』にすぎない」という「時代の現実」が浮かび上がってきたのではないか。

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