人生100年時代には、個人が複数の職業を経験し、多様な体験を積みながら自らを成長させていくのがスタンダードになると言われている。
この流れは、アスリートの世界においても例外ではない。その先駆的モデルとして活躍を見せるのが、元福岡ソフトバンクホークス投手の江尻慎太郎さん(41歳)だ。
早稲田大学から2001年に日本ハムファイターズに入団。横浜ベイスターズ(当時)、ホークスと3球団を渡り歩き、最速153km/hを記録した。14年秋に現役引退を決めた時、目の前には2つのセカンドキャリアが差し出されたという。
「戦力外通告と同時にスカウト転身を打診されました。そしてもう1つ与えられた選択肢は、ソフトバンクグループの一般企業への就職でした」
選び取ったのは後者の道。自分が知っている狭い世界を飛び出して、新しい場所でチャレンジしてみたいと思いつつも、野球界への未練はゼロではなかった。その迷いは、ホークス役員からかけられた一言が鮮やかに消し去ってくれた。いわく、「江尻が野球界の外で活躍すればするほど、野球界における江尻の価値も高まっていくんだよ」。
プロ野球選手としての誇りを捨てず、マウンドでの経験を社会で生かして輝くことが、野球界への恩返しになり、自分自身の価値も高めるのか――。再出発の入り口で得られたこのマインドセットは、大きな意味を持ったと振り返る。
「プロ野球選手が引退する時の指導としてよく聞かれるのが、『今までの華やかな世界を忘れて、おとなしく暮らしなさい』というもの。つまり、プライドを捨てて地味に生きろと。僕はこれに違和感を持っていました。13年間、プロ野球選手としてやってこれたんだから、どんなことにもチャレンジできるはず。そういう気概を持ち続けるべきではないかと」
行き先として告げられた会社の名前は、ソフトバンク コマース&サービス(C&S)。最先端のデジタルマーケティングツールを扱う部門への配属だった。
PCスキルはというと、学生時代に気分転換でやっていたタイピングソフトのおかげで、タッチタイプは身に付いていたが、「パワーポイント」は名前を知っている程度。初日に席に案内されると、目の前には600人、後ろには200人の企業戦士が座っていた。
「この中でやっていけるのか」と不安がよぎったが、担当業務が世の中の“最先端”であることに希望を見出せたという。
「だって、本当に最先端なら、ほとんどの人が知らないわけじゃないですか? それなら自分もチャンスはあると思いました」
そこからは「人生で一番勉強したかもしれない」という日々。会議に出席しても内容のほとんどが理解できない。必死で聞き取り、書き取り、デスクに戻っては1語ずつ調べて……という地道な作業を繰り返した。
「まず自分ができることをやって、分からないことは素直に人に聞く」という達成プロセスは、選手時代と何も変わらなかった。
「できません、と言うのはやめようと思っていました。できないのが当たり前なのだから、恥ずかしいことではない。できない理由を挙げることに意味はないし、キリがない。『あいつ、元プロ野球選手なのに、できないばっかり言ってる』。そんなのダサいじゃないですか(笑)」
また、「結果を早く出さなければ、来年はクビになるんじゃないか?」という“プロ野球選手癖”も未だに抜けないと江尻さんは笑う。
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