外国人材受け入れをもっと 法の壁に風穴開けた就職支援会社社長の執念日本で働けない外国人の無念背負う(1/3 ページ)

» 2018年10月17日 14時30分 公開
[服部良祐ITmedia]

 日本社会が外国人労働者受け入れに大きくかじを切ろうとしている。政府はこれまで基本的に高度な専門を持つ人材にのみ与えられていた就労目的の在留資格の条件を緩和する。19年4月をメドに介護や建設などの分野で認める方針で、期限の更新や家族の帯同といった条件も向上させる。少子高齢化で加速する深刻な人手不足に対応するためだ。

父の会社倒産で考えた「必要とされ続ける」仕事

 この問題について、外国人の就労支援や政財界への政策提言を続けて門戸開放に寄与した火付け役がいる。外国人材専門の紹介・派遣会社グローバルパワー(東京都台東区)の社長、竹内幸一さんだ。同社は年間約500人の外国人の就職支援を成功させているほか、多くの日本企業で外国人採用の支援も行う業界のパイオニアだ。

photo グローバルパワー社長、竹内幸一さん。背景のポスターは同社が就職支援に携わった外国人たち

 竹内さんが外国人材の門戸開放に尽力するのは自社の利益追求という面も大きい。ただ同時に彼を突き動かすのは、日本で働きたいのに法規制に阻まれ母国に帰っていく外国人たちの後ろ姿だ。彼らの無念を背負い、働ける人が減っていく日本の労働市場への危機感も胸に竹内さんは奔走する。

 学生時代は米国に留学していた竹内さん。いつかは父親が起業したプラスチックの金型メーカーを継ぐつもりだったが大学4年時に倒産した。コンピュータによる製品の製図システム「CAD」が広まり、エンジニアだった父親の製図技術にニーズが無くなったのが原因だった。

 父親の借金を返すため大学を中退して帰国し、日本でワインを扱う外資系商社に入った。「父親のように倒産したくはない。必要とされ続ける仕事は何だろう」。営業として働く傍ら自分の会社を持ちたいと考え、思い付いたのが今後日本の人口が減少に転じる中で伸びるであろう外国人材市場だった。

 29歳の時にフルキャストに転職、翌年には留学生採用を支援する事業部を手掛け始めた。ただ08年のリーマンショック後に労働基準監督署の同社への締め付けが厳しくなり、問題を起こした部署と直接関係ない竹内さんの事業部も巻き込まれるように。自分の事業を継続させるため独立を決意した。

「うちは和食、外国人なんか雇えない」

 10年、他の人からグローバルパワーの経営を引き継いで社長に就任した。ただ、当時はインバウンド需要が起こる前で外国人アルバイトはコンビニエンスストアでも珍しい時代。既に外国人の紹介・派遣を行っていた同社だったが、留学生のちょっとしたバイトや派遣業務を20件くらいしか手掛けていなかった。

 「『日本人でいいんだ。外国人なんか採用するか』と営業先で数限りなく言われた」(竹内さん)。当時外国人が働いていたのは主に日本人の目につかない倉庫や工場ばかりだった。居酒屋では増え始めていたものの、ある和食チェーンに「日本食を食べにくる外国人観光客に対応するため雇ってみては」と持ち掛けたところ「うちは和食だから外国人なんか雇えない」と怒られたこともあった。

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