桜田義孝五輪担当相が「自分でPCを打つことがない」と発言したことが大きな話題となっている。世の中ではPCが操作できることの是非といった低次元の論争となっているが、背後にはもっと深刻な問題が横たわっており、PC操作は氷山の一角でしかない。その問題とは、世界中で進むビジネスや生活の標準化という流れに対して、日本だけが追随できていないことである。
桜田氏は政府のサイバーセキュリティ戦略本部副本部長を兼務しているが、11月14日の衆議院内閣委員会で「自分でPCを打つことはない」と答弁したことから、セキュリティ戦略の責任者としての資質を問う声が上がった。
一連の指摘に対して桜田氏は、判断するのが自分の仕事であり、「判断力は抜群だと思っている」と答弁したが、桜田氏は国会答弁で間違いを連発しているだけでなく、福島第一原発事故で発生した指定廃棄物について「原発事故で人の住めなくなった福島の東京電力の施設に置けばいい」と発言するなど、以前から不用意な言動で知られている。
客観的事実を見る限り、判断力が抜群とは思えず、担当大臣としてふさわしいのかについては疑問の余地があるが、PC経験の有無だけが、リーダーとしての適性を決めるわけではないという点についてはその通りだろう。
しかしながら、現実問題として社会において指導的な立場にある人がPCを使っていないというのは、判断力や決断力といったリーダーとしての適性にそのものに悪影響を及ぼす可能性があり、かなり深刻な問題と捉えた方がよい。そしてこの話は、PCの操作に限ったものではなく、社会のあらゆる部分で多くの日本人が直面する課題でもある。それは、ビジネスや生活の「標準化」というテーマに密接に関係しているのだ。
1990年代にPCが急速に普及したことで、社会の仕組みは大きく変わった。
それまでコンピュータは大量の計算や業務処理を行う「装置」であり、個人の生産性を向上させる目的で使われるものではなかった。だが、PC(パーソナル・コンピュータ)はその名称からも分かるように、個人の生産性を飛躍的に向上させる「道具」であり、PCの普及によって個人の知的活動とITは切り離せない関係になった。その結果、ビジネスや生活の多くがITをベースに設計・構築されるようになり、全世界的な標準化が一気に進んだのである。
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