カルロス・ゴーンは現代の立花萬平か 日本が「人質司法」を止められない事情スピン経済の歩き方(5/6 ページ)

» 2019年01月15日 08時04分 公開
[窪田順生ITmedia]

300年近く続いた「自白=美しい裁き」

 時代劇のせいで、江戸時代の裁きは、お奉行は桜吹雪とかを見せてバッサバッサと裁いていくイメージが強いかもしれないが、実は現代日本をほうふつさせる「自白偏重文化」だった。

 「死罪以上の重罪の場合、証拠がいかに明白だろうと自白を必要とした。自白をしない被疑者に対しては「申しあげろ。申しあげろ」とむち打ち、えび責めなどの拷問で強要したのである」(AERA 1991年4月9日)

 もちろん、拷問は最後の手段。あの手この手で揺さぶって、下手人が「恐れ入りました、あっしがやりました」と白状させるのが「吟味方与力(ぎんみかたよりき)」と呼ばれる捜査員の腕の見せ所だ。

 この300年近く続いた「自白=美しい裁き」という司法カルチャーが明治以降も脈々と受け継がれ、平成にまで生き残っているのは、警察に必ず「落とし」(容疑者に自白させる)を得意とする刑事がいて、「落としのヤマさん」なんて一目置かれている事実からも明白だろう。

 取り調べ時に弁護士が同席して、保釈されてしまえば、容疑者に「自白」させられない。つまり、「人質司法」という世界中から叩かれる非人道的なシステムが現代日本にまかり通っているのは、先人たちが大切にしてきた「自白文化」を守るためなのだ。

 そんなワケの分からない文化は日本に存在しない、と思うかもしれないが、江戸の取り調べ官たちが「自白」に骨の髄まで依存していたことはさまざまな資料が物語っている。

 例えば、歴史学者・氏家幹人氏の『江戸時代の罪と罰』(草思社)によると、名奉行で知られる大岡越前は、徳川吉宗にこれまで何人殺したかと聞かれ、厳しい取調べのせいで、犯してもいない罪を自白させた者を死刑にしたと告白している。

 現場の捜査員もその苦悩といつも隣り合わせだった。天保十年(1839年)に生まれた佐久間長敬という与力が「吟味の口伝」なんて今で言うところの捜査マニュアル本を出版した。

 その本の中に、あるベテラン与力による「冤罪」の告白が掲載されている。尋問上手のこの与力はある日、仕事を終えると、自分の家で働く下男に「金を盗んだな」と詰問した。

 ベテラン与力はこれまで何人もの囚人を自白に追い込んできた。しかし、ふとその中には冤罪もいたのではないか。そんな疑念を抱いたので、気心の知れた下男で試してみようと思ったのである。

 下男は言われのない罪を被せられ必死に否定した。が、そこで驚くことが起きる。与力にネチネチと問い詰められるうち、この下男は「すいません、私がやりました」とやってもない罪を「自白」してしまったのだ。

 この出来事に衝撃を受けたベテラン与力は、職を辞して引退した――と「吟味の口伝」には記されている。人が人を裁くことの難しさ、自分は絶対的な正義だと勘違いしてしまう問題と、江戸の与力たちは常に真摯(しんし)に向き合っていたのである。

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