ものづくりというと、江戸時代の職人がよく取り上げられますが、昔の職人たちの働き方は「遊び」であふれていました。
1794年に大阪で公布された「町触れ」(地域の公的取り決め)には、当時の職人たちが、朝8時から夕方6時まで働き、午前10時と午後2時には30分の休憩を取り、昼休みは1時間で、実質8時間勤務だったと記されています。しかし実際には、「やるときゃやるけど、基本はダラダラ」。そんな働き方を、江戸時代の職人たちはしていたのです。
お天道さまの光がさんさんと降り注ぐ4月から8月までは、たんまりと2時間ほど昼休みを取り、暑い日には「暑くてやっていられねぇ〜」と働くのをやめ、お天道さまの機嫌が悪く雨がシトシト降っている日は「うちらも休むか」と休み、冬になると日が暮れる前に仕事を切り上げ、実質4時間ほどしか働いていませんでした。
ときには夜なべをして残業することもありましたが、その時にはちゃんと半日分の賃金が支払われ、サービス残業は一切なし。
人間らしい働き方が当たり前だったのです。
そもそも日本人が時間に追われる働き方を始めたのは、「労働=Labour」という概念が輸入されたことがきっかけの一つです。
Labourとは奴隷が行うもので、生産性を上げることだけを目的とし、いかなる過酷な状況にも耐えて労働力を提供する働き方で、「時間」に人を結び付けた概念として西欧では理解されていました。生産性を上げるには、製品の組み立てにかかる時間を短縮した方がいい。労働時間を長く取れば、さらに1日当たりの生産量は増える。時間だけを軸にした働き方を強いられた労働者は、肉体を極限まで酷使させられ、意志と自由を奪われ、雇用主(=会社)がもうけるためだけに働くことを求められます。
その“Labour”の概念が明治維新以後に日本に輸入され、Labourの訳語として考案された造語が「労働」です。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング