自転車専門店「サイクルベースあさひ」が好調 “斜陽産業”のイメージ覆して急成長した理由長浜淳之介のトレンドアンテナ(3/5 ページ)

» 2022年01月19日 05時00分 公開
[長浜淳之介ITmedia]

価格破壊の激化を危惧

 あさひの社史を振り返ってみよう。

 戦後間もない1949年、創業者の下田順次氏が子ども用玩具の製造・卸・小売として、大阪市内に旭玩具製作所を創業。

 事業承継にあたって、創業者は3兄弟の息子たちにそれぞれお店を与えた。そのうち48年生まれの三男・下田進氏は玩具問屋での修業を経て、22歳で玩具店を開業。72年より玩具の一部として子ども用自転車を販売していた経緯もあり、75年に取り扱う商材を自転車へと全面的に変更した。

 その背景として、店舗が立地する商店街の前に大型スーパーが進出して、買物の人の流れが変わったことがあった。自転車ならばアフターサービスが必要。スーパーはメンテナンスまで目が行き届いていなかった。

本社外観(提供:あさひ)

 しばらくは厳しい経営が続いたが、「毎日少しでもファンをつくる」という目標で、「チェーンが緩んでいますよ」「タイヤに空気を入れましょうか」などと、店の前を通る自転車に声掛けをする活動を実践し、地域の有名店になっていった。

 しかし、80年代に入ると、大型スーパーやホームセンターで、安価な中国製の自転車が販売されるようになり、全国津々浦々にあった地域密着の個人店がますます減少していった。低価格競争では中国製に到底敵わない。

 そこで81年、ロードバイクを中心とするプロショップに業態を変え、愛好家の多い大阪府下の千里ニュータウンに店舗を移転。自転車を愛する仲間が集まる基地という意味で、ファンから「サイクルベース」と呼ばれた。85年にはサイクルベースあさひに商号を変更。このプロショップは、実業団レース関係者の間で有名になり、レーシングチームを率いるほど成功を収めた。

 しかし、自転車の使い捨てが当たり前となる価格破壊の激化を危惧して、進氏は自転車の楽しさをよく知るプロショップだからこそ、自転車を皆に大事に長く使ってほしいという思いが募った。そこで89年、専門的なプロショップから、自転車の全てのジャンルを取り扱う大型チェーンの展開に切り替えた。

スポーツバイク(ロードバイク)の売場(提供:あさひ)

 この頃、衣料の「ユニクロ」を展開するファーストリテイリング、家具のニトリ、家電のヤマダ電機(現ヤマダホールディングス)のような特定分野で圧倒的な品ぞろえを実現し、総合スーパーを圧倒する、カテゴリー・キラーと呼ばれる業態が台頭してきた。自転車の分野で、ユニクロやニトリに匹敵する革新を行ったのが、サイクルベースあさひといえよう。

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