「裏庭の爆発実験」から始まったムーアの法則

半導体業界の発展を予言した「ムーアの法則」が世に出てから40年。論文を発表したゴードン・ムーア氏は40周年を祝う記念式典において、その半生を振り返った。

» 2005年10月03日 18時47分 公開
[IDG Japan]
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 今年のクリスマスシーズンに、Intelの共同創業者、ゴードン・ムーア氏に贈るプレゼントを買う予定があるのなら、年代物の化学実験セットをeBayサイトでチェックするのがいいかもしれない。

 ムーア氏は、9月29日夜にカリフォルニア州マウンテンビューで開催されたムーアの法則40周年記念式典において、「こういった実験セットはもう手に入らない」と嘆いた。同氏は、手作り火薬の爆発実験に魅せられた少年が、世界を変革した産業の創造にいかに貢献したかというユニークな物語を述べた。

 ムーア氏は1965年、その後の半導体業界の発展の道筋を決定することになった論文をElectronics Magazine誌に投稿したが、その時点では、ムーアの法則が業界に浸透するとは想像もしなかったという。

 その論文の中でムーア氏は、「集積回路メーカーは、チップに実装するトランジスタの数を毎年倍増することができる」と予言した。それから10年後、同氏はこの予測を「2年ごとに」と修正した。このトレンドは、Intelをはじめとする半導体メーカーのチップ設計者の努力によって今日に至るまで続いている(関連記事)

 しかし、この論文をElectronics誌に投稿するきっかけとなったのは、もっと短期的な問題だった。当時ムーア氏はFairchild Semiconductorに勤務しており、半導体という新たな集積回路の潜在顧客に、コンピューティングパワーは必ずしも高価なものではないことを納得させようとしていたのだ。

 「あの論文がこれほど正確なものになるとは思いも寄らなかった」とムーア氏は語った。1つのチップに実装するコンポーネントが多くなれば、Fairchildは安価で強力な電子デバイスを作ることができるという考え方を主張したかっただけだという。

 「挑戦しようとしていたのではなく、顧客の気持ちを変えようとしていたのだ。わたしが予言していなくても、大半のことが起きていただろう」とムーア氏は、半導体産業の創設における自身の役割について謙遜した。

 記念式典が開催されたコンピュータ歴史博物館では、カリフォルニア工科大学のカーバー・ミード教授がムーア氏とともにステージに立った。ミード氏は、「ムーアの法則」という言葉を考え出した人物で、現在、カリフォルニア工科大学のGordon and Betty Moore財団で工学・応用科学の名誉教授を務める。

 ミード氏は、科学への生来の好奇心を示すような子供時代の出来事を話すようムーア氏を促した。ムーア氏は、化学実験セットに入っていた材料を使って、無害だが大きな爆発音のする爆薬を作りたいという情熱が、聴力を損なう原因になったと考えている。

 「ダイナマイトが2オンス(約60グラム)もあれば、強力な爆弾ができる」とムーア氏はジョークを飛ばした。両氏によると、ニトログリセリンから自作ロケットに至るまで、今日ではほとんど見かけなくなった爆発実験を通じてムーア氏の子供時代が形成されたという。

 何人かの聴衆がムーア氏とミード氏に対し、米国の現在の科学教育の現状をどう思うかと質問した。Intelは以前から、科学/数学教育の資金を増やすよう連邦政府に働きかけている。これは、現在の教育制度では、米国は技術開発における優位を維持することができないという考えに基づく。

 ミード氏は、米国の科学教育の現状は差し迫った状況であり、教育問題を米国の移民政策に連携すべきだとする考えを示した。大学院の学位を得るために米国に留学する外国人学生には、卒業後直ちに永住ビザを認可すべきだ、と同氏は提案した(関連記事)。現在、外国人の大学院生のほとんどは、米国での一時的居住が許可される短期ビザしか持っておらず、卒業後に帰国することを余儀なくされているという。

 一方ムーア氏は、若い科学者に対して、莫大な資金が必要とされるチップ業界に入ろうとするよりも、ソフトウェアにフォーカスするようアドバイスした。

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