「電波少年」でできなかったことをネットでやる日本のインターネット企業 変革の旗手たち【番外編】(1/3 ページ)

「あくまで僕は作り手」と話す第2日本テレビの土屋氏は、インターネットのあり方についてビジネスマンとは違うユニークな考えを持っている。ネットビジネスから2ちゃんねるに至るまで多くを語ってくれた。あの番組の話も……。

» 2008年02月13日 00時00分 公開
[伏見学,ITmedia]

 第2日本テレビは、2005年10月に始まったインターネット向け映像配信サービスだ。この事業の仕掛け人は、かつてテレビ番組「電波少年」を手掛け、“T部長”“Tプロデューサー”の呼称で有名な土屋敏男氏である。「第2」とは地上波でできないことをやろうとする「アンチ・テレビ」という意味が込められているという。果たしてネットを使って何を実現できたのか、話を聞いた。

ITmedia まずは、「第2日本テレビ」を立ち上げた背景と理由について教えてください

土屋 ちょうど立ち上げた頃に、ライブドアによるニッポン放送の買収提案や、楽天によるTBSの株式取得が大きな話題となりました。それまでインターネット事業というのはビジネス視点で考えられてきましたが、僕自身はコンテンツの作り手なので、作り手の視点でインターネット事業をやってみたいと思ったのがきっかけです。

 ビジネス視点で象徴的なのが、例えばテレビドラマを観ていて「このヒロインが持っているバッグがいいな」と思った時、ネットを使えばその場で買えるようになると堀江さんが言ったり、三木谷さんが「水戸黄門が最初から観られるようになります」と言ったりしたことです。ビジネスマンがテレビとネットの融合を語る時、どうしても便利さを求めます。僕はものの作り手なので、今までテレビではできなかった表現を、ネット上に作り上げてみたかったという思いがあります。

 例えば、YouTubeによって映像の流通が完全に国際的になりました。だからといって、新しい表現が生まれてきたかといえば、再生ランキングや検索といったビジネスモデルだけができあがり、表現者がネットでどういうことができるのかについては語られていない。あくまでも僕は作り手側からネットを考えるというスタンスで2年以上やってきました。

リアルタイムと双方向

ITmedia 2年以上ネット番組に携わった中で、気付いたことはありますか?

土屋 そういう意味では、昨年(2007年)手掛けた3つの企画がネット事業に携わる上で大きなエポックメイキングになったと思います。

 トヨタにスポンサーになっていただき、8201mのチョ・オユーというネパールと中国にまたがる山に単独登頂する企画をやりました。既に5大陸を単独登頂している“ニートのアルピニスト”と呼ばれる青年が投稿サイトに投稿してきて、チョモランマに挑戦する前段階として8000m級の山を一回単独登頂したいということで、それをリアルタイムドキュメンタリーという形で配信しました。彼が単独登頂するところをスタッフ3名が撮影し現地で簡単な編集をして、ネットでデータを日本に送信してサイトに掲載していきました。テレビだとどうしても週に1回とか、あるいは毎日流すにしても時間に制約があります。数時間の遅れはありますが、ネットだと随時アップデートしていけばよいので、ほぼリアルタイムで配信できます。

土屋敏男氏 土屋敏男氏

 また、番組ページに視聴者から応援メッセージを寄せてもらいました。登頂の過程で彼がPCでページを観ると応援メッセージが来ている。そのメッセージで彼は元気付けられて、また山を登っていくというわけです。こうした形で視聴者との双方向性が実現できました。

 リアルタイムで応援されていることが彼の単独登頂を支えていました。ある時には、サンプラザ中野が作ってくれた応援曲をネットで送り、彼はそれを山頂アタック前に聴いたりもしました。テレビではできない、ネットならではのリアルタイム性と双方向性を生かせたと思っています。

 そのほか、ジーンズメーカーのLevi’sと一緒にやった6秒間のWeb CMでは、ネットでしか発掘されないような若いクリエイターからの作品がたくさん集まりました。11〜12月に配信した「オキナワ■男■逃げた」というドラマ(NEC提供)では、主人公が約1カ月半の間、ブログをほぼ毎日更新して、そこに寄せられたコメントに心を動かされながらストーリーが作られていくという形を展開しました。これもネットだからできたことだと思います。

 テレビだけではできなかったこと、テレビと一緒になるからできることを探し続けていた中で、2007年にリアルタイムかつ双方向なドキュメンタリー、6秒のネットCM、ブログをメインコンテンツとしたドラマの3つを実現しました。それぞれに大きなスポンサーがついたことも含めて、かなりの手ごたえを感じているのが今の心境です。

ITmedia 「電波少年」で猿岩石がヒッチハイクしていた時にはできなかったリアルタイム性や双方向性が、10年経ってネットでできるようになったのは面白いですね。

土屋 まさに、そうしたことが具体的にできるようになった年だったと思います。放送と通信の議論でよく語られていたのは、放送のコンテンツ自体をどうやってネットに載せられるのか、著作権はどうなのだということだけです。すぐに「シナジー」や「Win-Win」などのビジネス用語が出てくる。そうではなくて、僕はネットを使ってこういう新しい楽しみ方や、新しいコンテンツができますよねということを探していく立場だと自覚しています。

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