「情報処理技術遺産」にみる温故知新Weekly Memo(1/3 ページ)

「情報処理技術遺産」の認定制度を始めた情報処理学会が先週、初の認定式を行った。まさに温故知新。これを機に、本コラム50回の節目でもあるので、日本のコンピュータの歴史を少し紐解いておきたい。

» 2009年03月09日 10時59分 公開
[松岡功ITmedia]

コンピュータ博物館の実現に向けて

 社団法人情報処理学会がこのほど、日本のコンピュータの歴史上において、重要な研究開発成果や経済・社会・生活に顕著な影響を与えた技術や製品を「情報処理技術遺産」として認定する制度を始め、先週2日に初の認定式を東京・上野の国立科学博物館で開催した。

 挨拶に立った情報処理学会の佐々木元会長は、欧米諸国に比べて日本はコンピュータ関連の歴史遺産の保存状態が危うい点を指摘。「現下の経済状況を考えると、何年後かにコンピュータ博物館が実現したとしても、そこに展示する貴重な遺産が破棄・紛失している可能性がある」と訴え、そうした遺産の保存を図るとともに、コンピュータ技術の発展を担ってきた先人たちの経験を次世代に継承していくことを目的に認定制度を発足させたと説明した。

 第1回目の情報処理技術遺産として認定されたのは、日本初の機械式卓上計算機「自働算盤」、初期のリレー式大型計算機「ETL-MarkII」、日本初の真空管式電子計算機「FUJIC」、日本で発明された演算素子「パラメトロン素子」、大型パラメトロン計算機「SENAC-1(NEAC-1102)」、現在も動態展示されているリレー式コンピュータ「FACOM128B」、国鉄座席予約システム「MARS-1」、パラメトロン・コンピュータ「MUSASINO-1B」、国産初の大型汎用コンピュータ「HITAC5020および関連部品」、初の日本語ワードプロセッサ「JW-10」、ベストセラーのパソコン「PC-9801」など23件。

 まさしく温故知新を物語る貴重な遺産ばかりである。ぜひ大事に保存して、後世に伝えていきたいものだ。そこでこの機会に、日本のコンピュータの初期の歴史を筆者なりに少し紐解いてみたい。

 情報処理技術遺産では1900年代初頭に発明された機械式計算機まで遡って認定対象となっているが、日本のコンピュータ開発におけるその後の産業発展への影響の大きさを考えると、リレー式コンピュータの出現が原点といえる。

 1952年に電気試験所(現・産業技術総合研究所)が「ETL-MarkI」(同IIは55年)を、54年に富士通が「FACOM100」を完成。その後、電気試験所からMarkIIの製作も請け負った富士通は、56年に国産初のリレー式商用コンピュータ「FACOM128」(当初はA、機能強化版のBは58年)を完成させた。

「情報処理技術遺産」の認定式。認定証を授与する情報処理学会の佐々木元会長(左)と「PC-9801」で認定を受けたNECパーソナルプロダクツの高塚栄執行役員常務

 富士通はこれを機にコンピュータメーカーの道を歩むことになるが、FACOM100以降の製品開発で天才的な力を発揮したのが故・池田敏雄氏(元専務)である。当時、リレー式に固執した池田氏はFACOM100/128の回路設計をひとりで行い、ひとたび計算作業に入り込むと寝食のみならず出社することさえ忘れてしまうほど没頭したというエピソードは、今も語り草になっている。

 しかし、リレー式コンピュータは富士通以外に商品化する企業が出てこなかった。それ以前の真空管に比べて安定感はあったものの、演算速度のスピードが遅かったからだ。そこで台頭してきたのが、純国産技術のパラメトロン素子や後の主流となっていったトランジスタ素子を使ったコンピュータである。

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