コラム
» 2009年06月14日 03時00分 UPDATE

日曜日の歴史探検:ASIMOまで駆け抜けたホンダのロボット開発

ロボットマニアを自称するなら、和光基礎技術センターは欠かせない存在です。設計と製造をくり返して二足歩行のヒューマノイド型ロボットが世に送り出されるまでには、10年以上の歳月を要したのです。

[前島梓,ITmedia]

 「本田技術研究所、和光基礎技術センター」という組織名を聞いてピンと来る方は、かなりのロボット好きであると自負してもよいでしょう。ホンダの開発した二足歩行の人型ロボット「ASIMO」が生まれた場所として知られる、和光基礎技術センターが設立されたのは、1986年4月。今から23年も前のことです。このセンターが、ヒューマノイド型ロボットにとって重要なマイルストーンであった二足歩行を語る上で欠かせない存在となります。

 モビリティ分野における高効率化と高度知能化をテーマに設立された同センターには、ホンダの期待が込められていました。環境問題などに代表される、従来の自動車技術が抱える問題を克服できなければ、自動車産業自体の存続も危ぶまれる――当時のホンダはそう考え、このセンターから早急な成果が出ることを期待していたといわれています。

過酷なヒューマノイド型ロボットの開発プロジェクト

 当初このセンターで掲げられたプロジェクトは、超軽量自動車の実現に向けた材料や自動車技術の開発、自動運転を可能にする自動車の知能化、3次元の移動機械としての飛行機開発、そしてヒューマノイド型ロボットの開発という4つが掲げられました。前述したように、単に夢を追うような性質のものではなく、それぞれが早急な成果を求められていたことを考えれば、ヒューマノイド型ロボットの開発は、最も過酷なプロジェクトであったといえます。

 1980年代といえば、ロボット開発など一握りの研究者の道楽のようなものでした。なめらかな二足歩行などほとんど不可能と考えられており、大学でもごくわずかな研究室で研究開発されている程度でした。まして、企業としてその研究開発を行うというのはほとんど前例がなく、当然ホンダの経営陣からも、冷ややかなまなざしを向けられ、なかなか理解が得られなかったようです。

tnfig1.jpg 輝かしいホンダのロボット開発の歴史はASIMOのサイトでみることができる(画像出典:ホンダ、以下同)

静歩行から動歩行への挑戦

E2 はじめて動歩行を実現した「E2」

 しかしここで、設計と製造に長けたホンダの技術力がいかんなく発揮されました。設立と同年の1986年、同センターでは「E0」を試作します。E0は二足歩行こそできましたが、「静歩行」と呼ばれる、常に体の重心が足裏の範囲に入るように歩くことでバランスを安定させながら移動する方法を採っていました。右足、左足と交互にゆっくりと足を出して歩く、いわばブリキのロボットのおもちゃのような歩みです。

 静歩行に対し、片方の足で立ち、もう片方の足を前方に運ぶことで重心を移動させる「動歩行」があります。重心の床への投影点が足裏の外に出てしまう動歩行は、静歩行よりもなめらかな動きが可能になるものの、姿勢制御が非常に困難なものです。E0の開発から3年間、研究室では人間の歩行をつぶさに研究し、「E2」ではじめて動歩行を実現します。ただし、動歩行を実現したとはいえ、その動きはぎこちなく、あくまでも平らな整地でしか歩けないものでした。

 しかも、動歩行では脚の部分に掛かる衝撃が加わるため、それを機械的に吸収する機構も考えなければならなくなりました。ここで、関節に当たる部分にゴムブッシュを組み込む方法が検討されますが、硬いロボットの関節に柔らかいゴムブッシュを挟み込むことは、姿勢制御をさらに難しいものにしてしまいます。ここで、チームは2つに分裂(フォーク)して開発が進められます。あくまで最終目的に達する道のりを異にすると意味でフォークという言葉が正確でしょう。

 ゴムブッシュを採用したチームのプロジェクトは、想像した以上に難航します。ゴムブッシュを採用しないチームのプロジェクトは、平らな整地上を時速4キロで歩行させることに成功させ、ASIMOにつながるハードウェアの原点を切り開いていくのに対し、ゴムブッシュを採用したチームは姿勢制御に苦心しました。

 そんな中、逆転の発想がチームを救います。倒れないということを理想的な歩行に想定し、その想定から外れないことだけを考えて制御してきたそれまでのロボット開発に、「アンバランスにしてバランスを取る」という発想を取り入れたのです。これは、体操選手がバランスを崩した際に歩幅の調整で踏みとどまることから着想したといわれています。自分から倒れることもまた正常な動作――そうした新たな発想でゴムブッシュを採用したチームのプロジェクトが進み出し、ASIMOにつながる姿勢制御の原点が誕生します。

P2 自立型のヒューマノイド型ロボット「P2」

 その後、フォークした2つのプロジェクトが再度合流し、「E6」が誕生。歩行技術は1つの完成系を迎えます。しかし、それは次の大きなプロジェクト――上半身のある本格的なヒューマノイド型ロボット――がスタートするきっかけでもありました。1993年には頭や腕がつき、ヒューマノイド型ロボットらしくなった「P1」が、そして1995年には胴体部に制御コンピュータや無線機器、電源を備えた自立型の「P2」が誕生します。

 1996年12月20日。手塚治虫が後の鉄腕アトムである「アトム大使」の連載を開始して45年がすぎたころ、ホンダは沈黙を破り、P2を世界に披露します。このときの衝撃はすさまじく、ロボット開発者に与えた衝撃はすさまじいものがありました。軌道制御のみで動歩行を行うには、支持側の足先から他方の足先までの関節すべてを見事に制御し、すべてのモーターの回転が的確に足先まで伝わらなければ正しい位置には着地できません。足先が着地する際の衝撃に対しても精度を保たなくてはなりません。20世紀中は困難といわれていたこれらの問題を克服し、実になめらかに動作する人間型のロボットに世界は魅了されたのです。

 注目すべきは欧米社会の反響です。キリスト教の影響下にある欧米社会で、「人間が人間を模した」ロボットを開発することはタブー視される傾向があることは前回紹介しましたが、P2の公開はそのタブーに触れるものでした。このためホンダは、P2を世界に披露する前に、キリスト教社会で指導的立場にあるバチカン市国のローマ教皇庁を訪問して意見を仰いだとされています。このとき、「P2が作られたことは、神がせしめたこと。それもまた神の行為の1つ」と司祭に告げられたことで、晴れて世界に発表されることになりました。

ASIMO タイムズ紙を広げるASIMO

 P2はすでに完成系に近づいていましたが、人間の生活環境で共生することを考え、小型化が進められます。そうして最終的に誕生したのが2000年に発表された「ASIMO」なのです。

 ASIMOと鉄腕アトムを比べると、見た目はずいぶんと似てきました。しかし、現実の鉄腕アトムが誕生するには、まだまだ多くの課題が残ります。次回は、最先端のロボット工学がどの方向を向いているかを紹介しましょう。

最先端技術や歴史に隠れたなぞをひもとくことで、知的好奇心を刺激する「日曜日の歴史探検」バックナンバーはこちらから


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