テクノロジーの目利きであり続けたい ケンコーコム・丸さん情シスの横顔

ケンコーコムの丸敬弘さんは、同社の巨大なIT基盤をゼロから立ち上げた人物だ。日本で初めてAWSでのSAP ERPの本番稼働を成功させるなど、その取り組みの舞台裏には「技術の目利きでありたい」という丸さんの活躍があった。

» 2013年06月05日 07時50分 公開
[國谷武史,ITmedia]

企業の情報システム部門の現場で活躍する方々を追ったインタービュー連載「情シスの横顔」の過去記事はこちら

マーケティングの世界からエンジニアへ

 医薬品をはじめとする健康関連商品のオンライン販売大手ケンコーコムでIT部 マネージャー チーフITアーキテクトを務める丸敬弘さんは、創業時から同社に参画し、ECサイトのシステムをゼロから立ち上げた。学生時代は法律を専攻し、新卒で入社したメーカーではマーケティングを担当。ITのバックグラウンドがほとんど無かったという丸さんは、メーカー退職後に興味を感じたITのスキルをほぼ独学で習得し、27歳で「HTMLが書ける人」を探していたケンコーコムにアルバイトとして入社した。そこからエンジニアとしてのキャリアがスタートする。

ケンコーコム IT本部 IT部 マネージャー チーフ ITアーキテクトの丸敬弘さん

「25歳で退職し、息抜きに図書館へ行くと、ITの本ばかり手に取っていました。興味の赴くままに勉強していたら、ITの方に来てしまったという感じですね」

 無職だったという2年間にはオンライン株取引もしていた。「それをシステム化してみたいと思い、最初は損益分岐点の計算をExcelにマクロを組んでしていました。次第に自分の中でやりたいことがエスカレートすると、VBAやVisual Basicでポートフォリオ管理ソフトも開発しました。これをシェアウェア化しようとも考えましたが、アップデートが大変になり、次にASPで提供しようと考え、HTMLも勉強しました。ただ、データベースを本格的に利用するという段階で行き詰ってしまい、その時に友人からケンコーコムに誘われ、今につながっています」

 そして、スタートアップにあったケンコーコムでは前職の経験からWebマーケティングも兼務した。一人でWebサイトの開発とSEO(検索エンジン最適化)対策を手掛ける。丸さんが入社した2000年は、ちょうどGoogleの検索サービスが提供されてまだ間もない時期だっただけに、「SEOに特化したサイト作りでトラフィックを稼ぐことができたと記憶しています。ITの知識で会社の業務に貢献するということを感じました」

業務が分かるIT部門

 ケンコーコム創業者の後藤玄利社長は、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)時代にデータベースマーケティングを担当していたことから、「当時は社員が20人もいないのに、サーバが20台以上もありました。『オモチャがたくさんある!』という感じで、データベースを使い倒すといったことができ、魅力的な職場でした」(丸さん)という。

 丸さんは「ITのなんでも屋さん」として、インフラ構築から障害対応、システム企画、プログラミングなど、あらゆることを手掛けた。「必要な技術を片端しから勉強しましたが、専門的に学んだわけではないので、情報通信をきちんと勉強してきた人からみると、わたしは“なんちゃってエンジニア”かもしれませんね……」

 その後、同社の成長とともにIT部門の役割も一気に増していく。一般的な企業では人材が増えれば、社員一人ひとりの役割が細分化され、専門的になっていく。業務とITがかけ離れてしまうということも往々にして起こりがちだが、会社黎明期の同社は違ったようだ。

「当社の業務を大きく分けると、受注獲得までのフロントエンド、サポートや課金管理などのバックオフィス、商品出荷などのロジスティクスの3つに分かれます。幸いだったのは、フロントエンドにわたし、バックオフィスに社長が居るという具合に、それぞれの領域に業務とITに分かる担当者がいました。各領域は、担当者によってつながっているので、業務とITにギャップが生じるということもありませんでした」

 ビジネスを取り巻く法改正などの環境変化にも、すぐに全社横断プロジェクトを立ち上げ、業務部門とIT部門が密接に連携して対応する。「医薬品販売ではチェックする仕組みが重要で、特にECサイトは基準が変更されると、システムに直接関わってきます。インタフェースのレイアウトや入力フィードの変更などがあり、例えば、入力された情報をシステムでチェックするのか、人の手でチェックするのかという点でも、業務部門とIT部門で対応を決めなくてはなりません」という。

 こうした歴史を経ていく中で、ケンコーコムならではIT文化が醸成されていく。それは「ITの目利きであり続ける」というもの。その代表的な取り組みが、2012年に国内で初めてAmazon Web Services(AWS)上にSAPのERPシステムを構築し、本番稼働させたという出来事だ。

「自分でやる!」という文化

 AWSでSAP ERPを稼働させていることについて、丸さんは「技術的には他社にもできるはずですが、たぶん経営判断としてはしないでしょう。それは文化だと思います」と話す。と言うのも、ベンチャーとして創業した同社では丸さんを中心に、自分たちでシステムの発展を手掛けてきた。

「大手企業ならSIerさんがシステムの面倒をしっかりとみてくれると思いますが、ベンチャーのケンコーコムでは、自分たちで何とかしないといけないという状況でした。まだ、Linuxを企業システムで使うことが不安視されていた時代に、安定性やコストが改善するから使ってみようと、データベースサーバから導入したことがあります。結果的に良かったのですが、普通なら無謀な行為ですね(笑)」

 こうした挑戦ではまさしく「目利き」の力が問われる。Linux導入に続く大きな取り組みが、基幹システムのクラウド化だった。同社は、東日本大震災が発生した後、2011年5月に、BCPでの取り組みとして本社の一部機能を東京から福岡に移転。この時にIT部門も福岡オフィスに移転を開始し、同時にオンプレミスで運用していたシステムの多くをAWSへ移行させた。

「オンプレミスのまま東京から福岡に移動させても、搬送中に機器が壊れるかもしれませんし、移動に伴うダウンタイムも許されません。既に一部システムをAWSで運用していて、ほかのシステムも何とかなるだろうと考えていました。海外のデータセンターなので遅延だけが心配でしたが、同社が東京リージョンを開設したので、思い切ってクラウドに移行しました」

 AWSへの移行でシステムの運用コストも1カ月あたり約600万円の削減につながった。クラウド活用の効果を実感し、SAP ERPの導入にも踏み切る。だがERPとなると、さすがに不安もあったという。

「AWSの操作性を把握していましたし、SAP ERPもクラウドで何とか運用できるのではないか? とは考えていました。しかし、当時は動作保証が無い状況だったので、そのリスクは取れません。幸運にも、ちょうどその時になってSAPがAWSを認定しましたので、それなら『やってしまおう!』と決めました」

 AWSへのSAP ERPの導入は、NTTデータソルフィス(現NTTデータグローバルソリューションズ)がパートナーとなって支援した。「NTTデータソルフィスさんにとってもこのプロジェクトは挑戦だったと思いますが、ビジネスとしての期待からも、本気で対応していただくことができたので、信頼を置くことができました」

これからも「目利きでありたい」

 丸さんの座右の銘は「知識は金なり」だという。新しいテクノロジーであってもそれをよく学び、上手く適用させていく方法を見つけられれば、より良いシステムを実現できるというチャレンジを成功させてきた経験が礎になっている。

「目利きという感覚を大切にして、『このビジネスにはこのテクノロジーを使うと良いだろう』といったことをこれからも提供できる存在であり続けたいですね」

 現在は同社の事業規模も創業当初とは比べものにならないほど大きくなった。丸さんによれば、同社においても業務部門とIT部門の役割が徐々に細分化しており、これまでのようにそれぞれの分野を理解できる人材の確保がこれからの課題だという。

「ビジネスとITの全体を見渡せる人を育てることも、だんだん難しくなっていますが、後輩社員がテクノロジーの目利きとしての経験を積んでいくことのできる環境を提供したいですね」

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