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» 2016年09月01日 08時00分 UPDATE

日本型セキュリティの現実と理想:第30回  日本の終戦までの最後の1年間とサイバーセキュリティの現状の共通点 (1/4)

日本は1945年8月15日に終戦を迎えた。日中戦争に始まる戦いの末期は防戦一方となり、生命線として定めた境界線を突破される状況に追い込まれた。日本にとってこの大きなターニングポイントから、現在のサイバーセキュリティを考えてみたい。

[武田一城,ITmedia]

“敗北”が決定的だった1944年7月からの1年間

 多くの方がご存じのとおり、日本は70年以上も前に世界を相手にするような戦争を行った。その戦争は1945年8月15日に終わりを迎えたが、最後の引き金は2度の原子爆弾の投下と日ソ不可侵条約を破ったソビエトの侵攻だったとされる。しかし、実はその1年以上も前に戦争の“敗北”が決定的になっていた。

 1944年7月18日、サイパン島の陥落により敗戦は決定的になり、当時の内閣は総辞職している。そして、このサイパン島を飛び立った爆撃機の空襲に日本がさらされるようになる。さらに硫黄島が陥落した後は、援護する戦闘機も日本に来襲することでさらに凄惨な状況となった。

 つまり、この後の1年間の戦況は一方的な状況であった。手持ちの戦力ではまったく対抗できず、組織的な防御としては壊滅状態といった方が正しいだろう。筆者は、この当時の状況が、現在のサイバーセキュリティの状況と非常に近いのではないかと感じている。

死守できなかった “絶対国防圏”

 そのことがわかっていたから、日本は生命線となるその重要なエリアを 1943年9月30日に“絶対国防圏”と定め、死守することを決めた。範囲は以下の地図のように、西はミャンマーやタイ、南はインドネシア、西は千島列島やマリアナ諸島など、非常に広大である。

日本型セキュリティ 絶対国防圏のエリア

 この“絶対国防圏”が設定された背景は、戦略爆撃機B-29の存在だ。米国は1942年にB-29を完成させ、中国に配備したこともあって日本の軍部はその存在を知っていた。B-29の性能は、当時の常識を超えた6600キロの航続距離と9720メートルの実用上昇の高度を持っていた。この2つの性能が日本のそれまでの防御策を無効化してしまうのだ。米国はこれ以後、航空機同士の戦闘ではなく「爆弾を積んで投下する作業」を延々と続けるだけで、戦争に勝ってしまう。だからこそ、それまでの戦術を打ち消すという意味で戦略爆撃という言葉ができたのだろう。

 日本の主要都市に往復できる範囲へB-29が配備されると、もはやそれは戦闘ではなく、一方的な破壊と虐殺の作業になる。つまり日本の防御機能が無効化されることなく、相手に戦略爆撃させない最も現実的な方法が、B-29の往復を許さないエリアを “絶対国防圏”と定めて防御することだったのだ。

 “絶対国防圏”を突破された後の日本は、東京や大阪、名古屋などの主要都市と相当数の地方都市がサイパン島を飛び立つB-29の戦略爆撃攻撃によって壊滅的な被害を受けてしまった。日本の防衛策は高い高度を飛行するB-29の存在の前には、もはや有効なものなどなかった。もちろん日本にも、B-29の高度まで届く高射砲や迎撃できる一部の戦闘機もあったが、それらで日本列島全体を守るには、リソースが圧倒的に足りなかった。そして、さらに内側の硫黄島が陥落してからはB-29だけでなく、その援護の戦闘機も来襲するようになると、まさに袋叩きの様相となった。

 日本は、その時点では有効な防御策など持ち合わせていなかった。だからこそ、爆弾の搭載能力などないはずの零式戦闘機を無理やり爆装させた神風特攻隊や、攻撃の目的さえ不明な戦艦大和の突撃といった、悲劇的な防御方法しか選択できなかったのだろう。

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