部屋には坂口と西田の2人きりとなった。
西田 「坂口、どう頑張っても無理かね?」
坂口 「西田副社長には申し訳ございませんが……」
坂口は自分が頑固なことをいっているのは分かっていたが、現場の皆の苦労を思うと、そういわざるを得なかった。
西田 「まぁ、座ろう」
そういうと西田は応接椅子に坂口を促し、対面するように腰を落ち着けた。
西田 「坂口。ちょっと視点を変えてみようか」
西田はそういうと、背もたれから身体を浮かし、身を乗り出して坂口に話し始めた。
西田 「君はプロジェクトを進めるときに、豊若くんや八島くんとどういう立ち位置でかかわっている?」
坂口 「システムについては八島さんにはかなわないし、プロジェクトで困ったら豊若さんに助けてもらおうと……」
西田 「つまり、どちらにも頼っているということだね」
坂口 「はい」
西田 「私は視点を変える必要があると思うのだよ。言葉は悪いが“頼る”じゃなくて“使う”でなければダメなのだよ」
坂口 「使うだなんて……」
西田 「もちろん尊敬の念は忘れてはいけない。その上での“使う”だよ」
坂口にはまだピンとこない。西田は続ける。
西田 「例えば、君は伊東くんをどのように評価している?」
坂口 「彼は知識や経験はまだまだですが、とても素直です。最近はやる気も見せてきており、その能力を少しでも引き出してやろうと思って仕事を預けています」
西田 「うむ。彼を成長させるために、君自身がやろうと思えばできることであっても、彼に仕事を任せているのだろう。しかし、その中には、君がやろうと思ってもできない仕事を、伊東くんにやらせていることもあるはずだ」
坂口 「確かに最近は、おれとは違う考え方、彼なりの方法で成果を出すことが増えてきているように感じます」
西田 「それだよ、坂口。それが『自分でできないことを人にしてもらう、人を使ってしてもらう』という概念なんだ。無限に時間があれば、もしかしたら自分1人ですべての仕事をやり切ることも可能かもしれない。しかし、仕事というのは制約された時間の中で成果を出すものだ。1人でできることには限界があるのだよ」
坂口 「だから、仕事はチームでやる……」
西田 「そうだ。だが、ただチームでやればよいというものでもない。先ほどの話に戻るが、システムの分野では八島くんの方が上、プロジェクト運営ノウハウでは豊若くんの方が上だ。じゃあ君が彼らより上なのは?」
坂口 「う〜ん……、ありません」
西田 「じゃあ、いい方を変えよう。彼らではなく、君が責任を負わなければならないのは?」
坂口 「……プロジェクトの成功です」
西田 「そう。じゃあ、君が彼らより上でなければならないのは?」
坂口 「プロジェクトの推進、です」
西田 「そう、それが君の役割だ。君はその部分において、ほかの誰よりも上でなければならない。しかし、そのほかの部分については、自分ですべてをやりきる必要はないのだよ。八島くんの役割と責任は何か? 豊若くんの役割と責任は? そういった役割と責任を整理しておかなければ、チームとしての力を十分に発揮することはできない。分かるか、坂口」
坂口 「はい」
坂口は深くうなずきながら、(確かにこれまでプロジェクトに追われるばかりで、自分の役割や責任を意識することがおろそかになっていた)と振り返っていた。
西田 「そういうことを考えていけば、君が彼らにどのように接すればよいか、おのずと答えは見えてくるだろう。まあ、ワシはそれを“使う”と表現したが、君なりの言葉もきっとあるだろう」
坂口 「八島さんの役割と責任はシステムを構築すること、豊若さんの役割と責任はプロジェクトに対する的確な助言、おれは彼らの能力を引き出して、プロジェクトをしかるべき場所に着地させなければならない……」
西田 「うん、良い答えだ。君の言葉でいえば、“引き出す”だな」
西田は話しながら、坂口の気付きの早さを頼もしく感じた。
一方で坂口も、自身の役割と責任について理解し始めていた。
西田 「坂口。ところで名間瀬くんのことだが……」
西田は情報漏えい事件後の名間瀬の動向について、坂口に話し始めた。
名間瀬は情報漏えい事件の責任を取らされて部長・室長職を辞任し、体裁としては「休暇を取っている」という形になっていた。しかし、豊若から本当の経緯を聞いた西田は、名間瀬に復帰の機会を与えようと表向きは休暇扱いのまま、ひそかに子会社に出向させていた。
名間瀬は、そこでプロジェクトマネジメント能力を磨こうと自らPMP(Project Management Professional)資格を取得し、子会社でのプロジェクト推進に役立てていた。それを知った西田は名間瀬に本プロジェクトへの復帰を打診し、プロジェクトが成功すれば元のポジションに戻すことを告げ、今回の復帰に至った、とのことだった。
西田 「ただ、プロジェクトはすでに君が中心になって進めているので、いまさら名間瀬くんを君の上に持ってくるつもりはない。名間瀬くんにもその旨は伝えてある」
坂口 「おれの下に名間瀬さんが入るということですか?」
西田 「そうだ。名間瀬くんは以前に比べて格段にプロジェクトマネジメントのスキルが磨かれておる。また、子会社でのプロジェクト推進で成果も出しておる。うまくその能力を“引き出して”プロジェクトを進めてくれたまえ」
坂口 「はい。尊敬の念を持って、ですね」
西田 「そうだ。難しい局面だが、プロジェクトを無事着地させてくれるかね?」
坂口 「分かりました。全力を尽くします!」
坂口の心に迷いはなくなっていた。
(これがオレが上級シスアドとして果たすべき役割なんだ!)
坂口のシスアド魂は激しく燃え上がっていた。
坂口が副社長室を退出した後、西田は窓の外に広がるレインボーブリッジを眺めながら込み上げてくる笑みをこらえきれずにいた
西田 「(わしが“使う”という強引な言葉を使ったのを、アイツは“引き出す”という柔らかくかつ前向きな言葉に置き換えよった。これが調整力に長けたシスアドというものなのだな)」
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