コラム
» 2006年04月26日 13時13分 UPDATE

サンキュー、グッバイ、マクニーリー

会長にとどまるのだから、本当に去ってしまうわけではないと言う人もいるだろう。だがわたしには、マクニーリーが馬にまたがって、夕日に向かって去っていくさまが見える。

[Steven J. Vaughan-Nichols,eWEEK]
eWEEK

 1982年、スコット・マクニーリーは友人の3人の大学院生――スタンフォード大学のアンディ・ベクトルシャイム、ビル・ジョイ、ビノド・コースラ――とともにSun Microsystemsを設立した。

 自分たちが歴史を築くことになるとは、彼らは知るよしもなかっただろう。

 Sunの最初のワークステーションは、いろいろな意味で世界初のワークステーションだった。Motorola 68000を搭載した「Sun-1」は、TCP/IPネットワークプロトコルを搭載し、「The network is the computer(ネットワークはコンピュータ)」をスローガンに掲げた。OSには一時Version 7 UNIXを採用していたが、その後すぐにオープンソースの4.1BSD UNIXに変えた。これが間もなく「SunOS」として知られるようになった。

 コンピューティングの世界は決して不変のものではなかった。

 10億ドルを超える企業を作り出したこのシステムによって、インターネットの基盤となるネットワークプロトコルが築かれた。ほかの企業もTCP/IPの人気を高めるのに一役買った。Sunはこれをインターネットの中核にした。

 ワークステーションはPCほどの人気はないが、数十年の間科学者やエンジニア、ハイエンド設計の決定的なプラットフォームだった。わたしが1980年代にインターネットに携わり始めたとき、使っていたのはPCではなかった。わたしたちは皆ワークステーションを使っていた。ほとんどがSun製だった。

 Sunはオープンソースに関しては良いことも悪いこともあったが、BSD UNIXを採用することで、オープンソースでいつかソフトの世界をひっくり返す聡明で探求心のあるデベロッパーという文化を推進した。

 マクニーリーの下、Sunは巨大なコンピュータハード企業に成長した。その後PCがSunの市場シェアを食い始めると、彼はSunをえり抜きのワークステーション企業から、ハイエンドサーバ企業に転換させる方向へ舵を取った。

 ドットコムブームの到来で、Sunは絶頂期に達した。

 常に変化に富んだ――控えめな言い方をすれば――マクニーリーは、Microsoftのビル・ゲイツなどIT業界のスーパーCEOたちと戦った。彼はテクノロジーの勝者の地位をゲイツから奪うことはできなかったが、彼ほど果敢に見応えのある挑戦を仕掛けた人はいなかった。

 ドットコム破綻はSunを崩壊させはしなかったものの、残念なことに、ほとんど破綻させかけた。

 マクニーリーは今もなおエネルギッシュでトップの座に向け奮闘している。彼が支配するのは今や、過去の栄光を取り戻そうと、必死になって次から次へといろいろなアプローチ――ネットワークコンピュータ、Linuxアプライアンス、Java――を試している会社だ。

 こうしたアプローチの一部――20億ドルを無駄にした2000年のLinuxアプライアンスメーカーCobalt Networksの買収など――は、Sunに打撃を与えただけだった。人気のJavaプログラミング言語など、技術的に成功した取り組みもあるが、Sunの利益にはあまり貢献しなかった。

 「その時が来た。当社の製品は修正された。顧客はこれまで以上に当社に満足してくれるだろう」……マクニーリーがこう言ったとき、彼は正しかった。

 だが、明らかに一番喜んだのは、2002年から2005年までSunの赤字が40億ドル以上に積み上がっていくのを見てきた株主だった。

 マクニーリーが、2億1700万ドル(1株当たり6セント)の赤字を出した四半期――前年同期は2800万ドル(1株1セント)の赤字だった――の終わりにSunを離れると発表したのは、あまりに時宜にかなっていた。彼を見捨てたのは技術ではない。彼がもう支配者の地位をなくしたテクノロジー市場だったのだ。

 1980〜90年代にSunを高みへと導いた指導者は、2000年代にSunをトップの座に戻せる人間ではなかった。

 マクニーリーの退任は残念だ。本当に去ってしまうわけではないと言う人もいるかもしれない。彼はこれからも会長としてSunを陰で操るのだからと。だがわたしはそうは思わない。彼が馬にまたがって、夕日に向かって去っていくさまがわたしには見える。残念だが、彼の時代は終わったのだ。

 だが決して忘れてはいけない。スコット・マクニーリーがいなかったら、インターネットも、その大半を支えるオープンソースも存在しないだろう。

 大げさだろうか? そう思わない。

 わたしは初期の時代からテクノロジーの世界にいた。インターネットが大学のコンピュータルームからすべての家庭に広がったとき、オープンソースが学術的な好奇心からソフトのエンジンに変わったとき、そしてあの当時を思うとき、そこにはSunOSやSolarisを走らせ、ネットをつないでいたSunのワークステーションとサーバ――わたしたちはピザボックスと呼んでいた――の姿が見える。ソースコードが手元にあれば何ができるだろうと思いながら、SPARCstationのUNIXを改造していたプログラマーたちが見える。要するに、現代のコンピューティング世界が赤ん坊だった頃が見えるのだ。

 ありがとう、マクニーリー。ありがとう。

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