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コラム
» 2006年11月30日 15時46分 UPDATE

不変なるVista

30年前、Microsoftはハードウェアパートナーの顧客を違法コピーで批判した。今、同社はVistaにコンテンツロックを組み込んでいる。

[Peter Coffee,eWEEK]
eWEEK

 「PC戦争は終わっている。Microsoftがとうの昔に勝利を収めた」――PC業界で尊敬を集めているある革新者が、このような見解を示した。

 この審判は1996年、スティーブ・ジョブズという名の人物が下したものだ――ジョブズ氏は、Microsoftの最も強力なライバルの1社と言われる企業で今もビジネスに携わっている(とわたしは信じている)。長らく待たれてきたMicrosoftのWindows Vistaの登場は、ジョブズ氏の10年前の審判が正しかったと証明するだろうか、あるいはその逆を証明するのだろうか?

 ジョブズ氏が負けを認めたのは、Apple Computerがコンセプトと技術におけるリーダーシップを握ってから12年後のことだった。同氏が後の1998年に主張したところによると、初代Macintoshは、「たいていの場合、人は誰かに教えてもらうまで、自分が何を求めているのか分からない」という見識を反映していた。初代MacはそれまでのPC向けプログラミングツールではなく、ベージュのショルダーバッグから(わたしは今でもこれを持っている)執筆や描画、接続のためのツールを備えて出てきた。それは情報アプライアンスの存在証明だった――情報アプライアンスが存在するかもしれないという定理をわたしたちが提唱する前のことだ。

 MicrosoftはVistaの定理を複数の視点から定義している。同社によると、Vista「体験」は、家庭におけるデジタル記録とエンターテインメントのパワーと喜びを、職場における個人の生産性と組み合わせたものだ。これは長らくAppleの強みだった。

 MicrosoftのVistaキャンペーンは、管理性やセキュリティも強調している。この2つはAppleの主張の中では際だったものではなかった。それはおそらく、Macがこれらの分野を重要な課題のように見せてこなかったためだろう。Macは箱から出して、ネットワークにつなげば――すべてのMacにはネットワーク機能があった――それで終わりだった。何を管理するというのだろうか? Mac OS Xは数年前から、Vista以前のWindowsとは違って、権限の限られた一般的なアカウントをデフォルトモードとして新規ユーザーを設定していたため、Macユーザーが「何をセキュアにするの?」と疑問に思っても無理はない。Vistaは存在する必要のなかった困難に対する勝利なのだろうか?

 Vistaを見ていると、同様の過去の皮肉な出来事を並べた博物館をそぞろ歩いている気分になる。今の状況を考えてみてほしい。PCメーカーは、Vistaのリリース延期が年末商戦の売り上げに与える影響を恐れているが、ほとんどのメーカーはおそらく、ユーザーにほかのものを代わりとして提供するという選択肢を検討してはいないだろう――たとえ(マスマーケットへの普及を促進させる)「先導役のユーザー」が、大手コンテンツ会社の要請でVistaに導入されたコンテンツロックに少なからぬ不信感を抱いていてもだ。これはいい眺めとは言えない。

 今から30年前、MITSという企業がコンピュータキット「Altair 8800」を販売しようとしていたが、趣味のプログラマーを引きつけるためにBASICを必要としていた。その時Micro-Softという小さな企業がMITSに電話してきて、Altair版BASICのデモを申し出た。MITSは喜んだ。Micro-Softが提案したBASICがまだ完成していないどころか、開発が始まってもいないということも知らずに……。

 Altair BASICはその後8週間で届き、披露され、MITS製品の重要なコンポーネントになった。その重要性があまりに高いため、ビル・ゲイツ氏がコンピュータホビイストに違法コピー禁止の書簡を送り、Altairユーザーコミュニティーを名指しして「あなたたちの大部分はソフトを盗んでいる」と批判したとき、MITS幹部は黙って苦しまなければならなかった。

 つまるところ、30年前、ソフトウェアの将来性への時期尚早な期待にとらわれた企業が、ハードウェアパートナーの顧客をデジタルコンテンツの不正利用で明白に批判したということだ。だが、その企業にはそれに対して何かするだけの技術も影響力もなかった。今は、その点が変わっている。

 では、Microsoftは勝ったのか? 市場シェアとお金を基準にすれば、確かに勝った。1984年に描かれていたパーソナルコンピューティングのビジョンのうち、誰のものが今の現実に近いかという基準で見れば、明らかに勝者ではない。

 しかし、あのときのPCの可能性という点で偉業を生み出し、コントロールする力を判断基準とするならば、誰が勝ったのかという問題など取るに足らない。ユーザーははるかに大きな根本的な損失を隠す成功の定義を受け入れてきたからだ。

 皆さんはあのパーソナルコンピュータを覚えているだろうか? わたしは覚えている――そして、恋しく思っている。

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