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» 2012年12月21日 11時00分 UPDATE

日本のインターネット社会論:3.11が生み出した “おしゃべり”の楽園 「LINE」に見る日本的インターネットの欲望

宇野常寛氏責任編集の「PLANETS vol.8」の中からLINEなど、日本のチャット文化についての論考を紹介します。

[稲葉ほたて,PLANETS]

PCとは隔絶したガラケーのメールの文化

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 ガラケー文化と一口に言っても、その姿は多岐にわたります。ここでは、私たちにとって、かつて最も身近だったガラケーのサービス――メールサービスに絞り込んで、議論を進めていこうと思います。

 と言っても、メールサービスがガラケー文化特有のものだったと言われても、あまりピンと来ない人が多いかも知れません。しかし、日本のケータイのメール文化は、実は世界的にも極めて特殊なものでした。もちろん欧米のケータイなどにも、SMSを搭載しているものはありましたが、その場合でさえも大抵は通話で済ませることが多かったと聞きます。それに対して日本の携帯電話では、わざわざ端末の狭い表面の中にメールボタンを、それも最も目立つ配置で置いてしまうほどに、メール機能が重視されていたのは、皆さんもご存知かと思います。

 しかも、日本のケータイメールは、使い方も極めて特殊でした。「絵文字」の文化などは、その典型でしょう。読者の中には、無料で落ちている「絵文字」を探して、ケータイでネットを探し回った経験のある人も多いかも知れません。しかし、そうやって探してきた絵文字をどのように使っていたのか覚えているでしょうか。「マジか」のような短文メールの後に絵文字を一つ入れてみたり、あるいは単に絵文字だけを送ったり、という使い方が多かったのではないでしょうか。

 端的に言えば、ケータイのメール文化は、PCのメールよりも遥かに刹那的で、表現の自律性を欠いています。それは、口語の「おしゃべり」に近いものです。しばしば40代などの社会人が、デジタルネイティブと言われる、下手をすると子供の頃から何万通とメールを送っていかねない世代のメール作法に立腹していることがあります。これなどは、ビジネスメールの延長線上で発達してきたPCメールの世界と、「おしゃべり」に近い日本的なガラケーのメール文化との衝突と言えるでしょう。

LINEが取り込んだメール文化

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 おそらく、この文章を読んでいる人のほぼ全員がガラケーで、こうしたコミュニケーションをしていたはずです。しかし、それは誰かが教えたものだったのでしょうか? もちろん、違います。こうしたメールの使い方は、単に私たちの欲望がそうさせてきただけに過ぎません。この日本のメール文化は、誰が指示したわけでもなく、ボトムアップ的に創りあげられてきたものです。

 この自発的な文化が突如として断ち切られたのが、近年のスマホブームなのです。例えば、iPhoneにはメールの物理ボタンがありません。メールが届いても自動的に開けないですし、メールにたどり着くまでに複数の操作ステップが必要です(なお、最近の日本製スマホ、いわゆるガラスマには、メールボタンがついているものもあります。これはこれで興味深い動きです)。

そこに滑りこんできたのが、まさにLINEでした。LINEが復活させたもの―それは、まさにメール文化なのです。実際、NHNの社長は、先のインタビューで挙げた発言に続く形で、「スマートフォン上のサービスについては、フィーチャーフォンでi‐modeが成長した時と同じような変遷をたどるという仮説を立てていました。日本のコミュニケーションサービスでは絵文字やデコメ的なものがフィットするのではないかという仮説のもとにスタンプを出したところそれが当たりました」と、スタンプが絵文字を参考に生み出されたことを明かしています。

「ウォームライン」の伝統

 さて、こうした絵文字の文化は、おそらく利用法の水準でもLINEに引き継がれています。例えば、スタンプの使用法として、(主に女性に多いようですが)いきなりスタンプを投げるコミュニケーションがしばしば行われるようです。しかし、ガラケーのメールでも、しばしばいきなり絵文字を投げてくるコミュニケーションが行われていたのを、覚えている人はいるでしょうか(こちらも、主に女性が多かったようです)。絵文字がコミュニケーションの発端になって、メールのやり取りが開始するわけです。これは、相手の空気を読みながら、重くならないように話しかける作法です。ある意味では、電話の発信音の弱いバージョンと解釈しても良いでしょう。

 こうしたコミュニケーションは、もちろんPCメールの文化から出てくるものではありません。しかし、設計者の側に、そうした意図が全くなかったわけではないようです。例えば、浅羽通明「『携帯電話』的人間とは何か “大デフレ時代”の向こうに待つ“ニッポン近未来図”」所収の精神科医、大平健氏へのインタビューでは、iモードを立ち上げた松永真理さんが大平氏の著書「やさしさの精神病理」を読んで、iモードにメール機能を組み込もうと考えたということが明らかにされています。1995年刊行の同書では、当時流行っていたポケベルのコミュニケーションを、通常の電話が相手を強制的に呼び出してコミュニケーションする「ホットライン」であるのに対して、互いを傷つけたくない人びとが選んだ“淡い通信手段”であるとして「ウォームライン」と名付けています(さらに「『携帯電話』的人間とは何か」では、最初にメール機能を搭載した携帯電話をリリースしたJ-PHONE の担当者が、インタビューでポケベルをヒントに開発したことも明かしています)。

 現代風に整理してしまうと、コミュニケーションに強く「同期性」を求めるのが「ホットライン」であり、コミュニケーションに弱くしか「同期性」を求めないのが「ウォームライン」であるという言い方もできるでしょう。先ほどのスタンプや絵文字を投げかけるコミュニケーションは、まさに「ウォームライン」的なコミュニケーションをユーザー側でも意識して行った事例です。

 事業者の目論見通りか、メールは頻繁に、ある意味で電話以上に使われるようになりました。「ウォームライン」のコミュニケーションが、私たちのコミュニケーションを覆っていったとも言えるでしょう。しかし、読者の方も心当たりがあると思うのですが、それが私たちのコミュニケーションを必ずしも楽にしたわけではありません。というのも、電話は出られる場面が限られているのに対して、メールの場合は気軽に返せてしまうからです。そのため、返信へのタイムラグに一種のメッセージ性が生まれてしまったのでした。

 特に決定的だったのは、メールに気付いた瞬間に即レスする文化が生まれたことです。これによって、メールの返信へのタイムラグが、相手の自分への興味の度合いを測る「指標」になりました。相手の気付きに任せる「ウォームライン」のコミュニケーションが、いつしか相手の自分への興味の度合いをメールによって測定し続ける「ゲーミフィケーション」を促してしまったとも言えるでしょう。

 このゲーミフィケーションもまた、LINEによって復活しています。しかも、LINEでは熾烈さが更に強化されています。特に既読機能は、ウォームラインのコミュニケーションの抱えていた「郵便的不安」を無効化して、即レスゲームを加速する機能です。また、LINEではチャットログを双方で共有しているため、メールの読み忘れに対して、大変に文句をつけやすくなっています。

「おしゃべり文化」としての日本的IT利用

 ここまで、LINEを「ポケベル―メール」と続く「おしゃべり文化」の継承者と見なしてきました。しかし、そもそも日本人の情報技術利用は、根本的に「おしゃべり文化」の要素は強いのです。少しケータイメールとは離れた視点から見てみましょう。

 社会学者の若林幹夫は、「メディア空間としての電話」という本の中で、「おしゃべり電話」という文化の存在を指摘しています。彼は、何かの用件を伝えるためではなく、ただ電話をするという目的のためだけの電話があると指摘し、これをもって電話空間の自律を語りました。この口頭での「おしゃべり文化」は、おそらくグローバルに存在するものです。しかし、日本の場合は、主に高い識字率に支えられた文字文化が理由なのだと思いますが、必ずしも目的を持たない文字によるコミュニケーションまでもが、強く希求されてきたのです。先に述べた「ポケベル」も、本来はサラリーマンのビジネス用途を見込んで販売されたものでした。しかし、実際には女子中高生やOLたちによって、「ウォームライン」的なコミュニケーションのツールとして使われました。そこでは、数字を用いた極めて高度な暗号的コミュニケーションが行われてきたのは有名な話です。

 また、この文化はPC Webにも及んでいます。「リアル」という言葉があるのをご存知でしょうか。特に男性読者は知らない方が多いと思うので簡単に説明すると、これはブログなどをまるでTwitterのように高頻度で更新していく「行為」です。主に女子中高生によって行われており、例えば、そこではTwitter のつぶやきのように「腹減った」など、自分の生活やたわいないモノローグがだらだらと垂れ流されていくのです。「行為」と書いたのは、これが別に特定のブログサービスで行われておらず、また時には前略プロフのようなプロフィールサービスの更新においてさえ行われてきたからです。これは、日本でTwitter が本格普及する遥か前から広まりだしていたようですいささかモノローグ的ですが、短文で自分の生活を垂れ流して、知人からのコミュニケーションを期待する点で、チャット的な要素が極めて強いです。

 他にも、ニコニコのユーザー生放送が、自ら番組を作るよりも顔出しチャットの方が強くなっていることや、2ちゃんねるにおいて常に人気の板になってきたのが、ラウンジ板やν速、VIP板などおしゃべり感覚が強い板だったことなども、この文脈に位置づけることができそうです。どうも日本的インターネットには常に「チャット化=おしゃべり文化」の圧力が存在しているようです。先に出たTwitterにしても、創業者の一人などは「地球の鼓動を伝えるプラットフォームを目指す」と言っており、ユーザーから発信されるリアルタイムの情報が集約されていく場として想定していたようです。実際欧米では、アルファベットゆえの字数制限もあるのでしょうが、リアルタイムで最新情報が流れてくるサービスとしての役割の方が強いようです。しかしながら日本ではご存知の通り、ネタツイッタラーのネタ投稿大会や、たわいもないおしゃべりの渦に、Twitter は飲み込まれています。

 こうして見ていくと、スマホというプラットフォームにおいてLINEが登場したことは、何も不思議ではないと言えそうです。少なくとも日本においては、私たちはあらゆるネットサービスを「おしゃべり文化」の楽園に仕立て上げてきたわけですから。チャットは、日本のネットサービスの保守本流の1つなのです。

宇野常寛責任編集「PLANETS vol.8」巻頭特集「21世紀の〈原理〉―ソーシャルメディア・ゲーミフィケーション・拡張現実」所収3.11が生み出した “おしゃべり”の楽園」第2章より抜粋


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