小説
ファースト・プレゼント〜ペンの物語 <1>

手渡された板、それは間違いなくなにかの機械だった。そして片面が明るく光り、そこには僕がいまもっとも必要としている情報が写し出されていた。その画面の向こうで彼女が微笑むと、どこからともなく雪が舞ってきた……

 会社員になってから朝が苦手になった。

 子どものころも学校のある日は目覚めが悪かったが、日曜日になると用もないのに暗いうちから布団を抜け出して、自転車をこいで高台まで上った。そこは海まではほど遠かったが、海までの町の様子が見渡せる外人墓地だった。そこの一番高い展望台のようになった場所に腰掛けて、日が昇れば滓かに見えるはずの波頭の煌めきを想像して、薄暮を楽しんだ。僕はそういう子だった。

 中学生になってはじめて、海までひとりで行ってみた。高台から見た海は手が届きそうだったが、自転車で行くには少々大変だった。海まではトラックが行き交う産業道路を行かなければならず、海辺近くでは入り組んだ道に迷った。ちょっとした冒険だった。しかし、ついた浜辺は想像とは全然違って、海を無造作にコンクリートで切り取った殺風景なところだった。でもなぜかそれから海が好きになった。といっても日曜の朝に海を見に行くだけで、後で見つけたきれいな浜で波を眺めているだけだった。

 ところが大学に入って、友達に誘われて始めたサーフィンで僕の毎日は少しばかり変わった。それまでおよそスポーツというものに縁がなかった僕がサーフィンにのめり込んだのは、海が好きなだけではなかった。いつも早起きしても、海にはあまり入らず、やっぱり海を眺めてばかりいた。そうしていると僕と同じように海の方をただぼんやり眺めている女性に気づいた。ストレートヘアが海風に揺れるのにぼんやりと見とれていた。いつの間にか彼女を見かけるのが楽しみにもなった。それは恋というにはあまりにぼんやりしすぎていた。結局、彼女とは一言も交わさないまま、僕は大学もサーフィンも卒業してしまった。朝が苦手になったのはそれからだ。

 今朝も母親がかけてくる電話で目が覚めた。実家から会社に通えない事もなかったが、せっかく社会人になったのだからと家を出たのだが、母親は出勤中に勝手に上がり込んで家事をやっていってしまうし、DVDプレイヤーを買うのに父親に金を借りたままだ。社会人になって三年、結局、いまだになにからなにまで親の世話というわけだ。家賃だって実家から通えば払う心配はない。それでも一人暮らしをするのには理由があった。部屋から会社までは、駅まで歩いて電車に揺られても30分もかからない。この距離のおかげでいまだに遅刻だけは免れていた。朝食をとる余裕のない独り者にとっては、この時間は貴重だった。

 今朝もいつものように余裕で会社のある駅で降りて、隣にあるエスプレッソカフェに立ち寄った。クリスマスの飾り付けがにぎやかなカウンターでコーヒーのショートをひとつとなんだかよくわからないオーガニックのサンドイッチを頼んだ。受け取りカウンターの前で出てくるのを待っていると携帯のベルが鳴った。静かな店内に鳴り響くベルに少々あわてて、ベルを切った。携帯やノートパソコンをのぞき込んでいた店中の客が一斉にこっちをみたような気がした。思わず周りを見渡すと、もうどの客も携帯やパソコンの画面に視線を戻していて、さっきのベルなぞ聞こえなかったかのような顔をしていた。とりあえずコーヒーとサンドイッチを受け取るとさっさと一人がけのソファに腰を下ろした。

 僕はどうも携帯というのが苦手だ。ようやく買い換えた携帯の着メロを決める時もさんざん悩んだ挙げ句に選んだのがただの電話のベルの音だった。これならあまり目立たないと思ったのだが、どうもそれは逆効果だったようだ。その上、電話とメールの着信音を変えてどちらがきているのかわかるようにするなんて、人に言われるまで全然思いもつかなかったので、いまもメールなのか電話なのかわからずにとっさに切ってしまった。携帯をのぞき込むと画面表示はメールの着信を示していた。

 なれない手つきでなんとかいま届いたばかりのそのメールを開くと、なぜか差出人の欄が空白で、

『本日、午後におうかがいします』

 とだけ書いてあった。今日の午後はアポはないはずだし、そのころは出張先に行くことになっていて不在なんだがなぁ、困った。それにしてもこのメールはいったい誰が送ってきたんだろう? いわゆる迷惑メールの類なんだろうか、などと一人思いめぐらせていると、「田嶋っ、なんだい朝から彼女とメールかよ?」とやけになれなれしい声が頭の上に響いた。思わず見上げると同僚の齋藤富士雄が見下ろしつつ、僕の携帯をのぞき込んでいた。「あ、おはよう」と返すと、どれどれ見せて見ろよ、と隣に腰掛けつつ、さらに携帯をのぞき込んできた。僕は隠す必要もないのに思わず「なんでもねぇよ」と携帯のフリップを閉じて、デイパックにしまい込んだ。

 「なんだつまんねぇの。どうせ、レンタルビデオ屋からの返却の催促かなんかなんだろう」と言うと、齋藤はブランドのバックからパソコンを取り出した。そのときの齋藤の顔といったら、夏休みに大きなカブトムシでも捕まえてきたような得意満面の笑みで、そのパソコンを僕の方に向けて見せた。しかし、それはどう見ても普通のノートパソコンだった。ただ、それは以前、そう昨日の昼に営業から帰ってきた時に使っていたものとはあきらかに違う機種だった。齋藤は黒光りするそのノートパソコンをテーブルをおくと、ニヤリと笑いながら、液晶画面をくるりと回して見せた。「どうだ、すごいだろう。こうやって閉じてもそのままペンで操作できんだぜ」と得意げに言った。たしかにそれは齋藤の言うとおりすごいことなんだろうが、会社のデスクトップパソコンですら満足に使えない僕にとっては、それは“ただのすごい事”に過ぎなかった。反応の悪い僕を無視して齋藤は一通り、勝手にそのくるりと回るノートパソコンの説明をし終えると、一言「田嶋じゃわかんねぇよな」と言うとパソコンをしまい込んだ。

 午前中の業務をこなし、いつもより早めに会社の近く定食屋でお昼を済ませるとデスクに戻って荷物をまとめた。食事に出るところだった矢島課長に出張に行くことを伝えると、いつもは気むずかしい課長が笑顔で「今日はすまないな。君一人でも対応できる事とは言え、あそこは大事な取引先だから本来は係長に変わって僕が同行すべきなんだが、今日はそれぞれプライベートが忙しいし。それにしても本当に君は今日は大丈夫なのか。後で彼女にフられたとか文句言われても責任もてないからな」と一人で大笑いした。僕は苦笑いとも愛想笑いともつかない引きつった笑顔を返しつつ一礼した。顔を上げてオフィスを見回してみると誰もが忙しくしているが、どことなく浮き足だったような感じだった。その中で僕だけがひとり沈んでいるように感じた。

 出張先は飛行機で一時間強の北の大きな町だった。空港についても屋内であるため、いったいどんな寒さなのかは見当がつかなかった。30分ほど電車に乗ると支社には三時前に着いた。取引先での夕方からのイベントの準備状況について支社の担当者に説明してもらい、キャンペーン中の商品を扱っている店に向かうころにはもう日が暮れかかっていた。大きなターミナル駅の地下にあるそのワインショップでは女性店員やアルバイトがサンタクロースの出で立ちで呼び込みをしていた。僕もスタッフジャンパーを着て、それに加わった。数時間の間に十分な数を売り上げることができ、店側も僕らも満足してイベントは終了となった。打ち上げを、という誘いを断って、僕は店を後にしてホテルに向かった。

 店を出てはじめてその刺すような寒さに気がついた。地下道を歩けば、ホテルまで寒さを逃れることができたが、なぜか外の空気が心地よくそのまま歩いた。途中、課長に報告を、と思い携帯を取り出すと画面はメールの着信を示していた。朝のメールのことがよぎった。着信メールを開いてみると、今度も差出人が空白だった。

 『午後におうかがいしましたが、ご不在でした。お忙しいとは思いますが、お仕事が終わりましたら、おうかがいします』

 とあった。出張先なんか知らせていないのに、いったいどういうつもりなんだろう。いたずらにしては手が込みすぎていると思った。

 とにかく、社に報告をと思って電話をかけようとすると携帯が鳴った。ワインショップの店長からだった。イベントに使ったものの中で使い回しのできるものを明後日のイベント会場へ転送するのだが、その住所がわからないというのだ。すでに係長から連絡済みだったはずだが、店長が言うには、僕から聞くことになっていた、というのだ。なにかの手違いだろうが、僕はそんなことを聞いていなかったばかりか、次のイベントは別の担当者が行くことになっているので、詳しい住所までは知らないのだ。とにかく調べます、と返事をして店長の携帯番号を聞き携帯を切った。

 すぐに会社に電話を入れてみたが誰も出ない。当たり前だ、今日はクリスマス・イブなんだから。仕方がないので係長の携帯に電話してみると“…電波の届かないところにあるか…”だった。半年前に結婚したばかりの係長はこの年末の忙しい時に“電波の届かない”旅行中、というわけだ。次のイベントの担当者は係長だ。

 こんな時、齋藤なら手持ちのノートパソコンにデータが入っているはずだからすぐにわかるのだろう。システム手帳で済ませている僕は出張でもノートパソコンやPDAは持ってきていない。こんな時が一番困るんだよな、と自分の不手際に情けなくなって、星が瞬く冬の夜空を見上げた。ふと視界の端に視線を感じた。イルミネーションの輝く光の森の方に目をやると上から下まで真っ白な女性が浮かんでいた。いや、そんなわけはない。イルミネーションの光だけの暗闇に立っているから、浮かんでいるように見えただけだ。

 その女性は僕の方を見据えると静かに歩み寄ってきた。そしてまっすぐ僕を見ると「お約束通りおうかがいしましたわ」と言った。いったいなにを言っているんだろうこの女(ひと)は、と混乱している僕を無視して「早速、これが役に立ちそうね」と言って、黒っぽい一枚の板を手渡してよこした。

 手渡された板、それは間違いなくなにかの機械だった。そして片面が明るく光り、そこには僕がいまもっとも必要としている情報が写し出されていた。その画面の向こうで彼女が微笑むと、どこからともなく雪が舞ってきた。(続)


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