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先例主義の科学e-biz経営学

» 2005年04月26日 08時30分 公開
[三橋平,筑波大学]

 不思議なもので、実は死語になってもおかしくない言葉というのが、案外、のうのうと生き残っていることってありませんか? 例えば、学校で使う下駄箱や筆箱という言葉。既に、ほとんどの人は下駄をはいて学校に来ないし、ほとんどの人は筆も使わないのに、未だに下駄を入れる箱、筆を入れる箱、という言葉が生き続けている。新幹線、という言葉も、あやしいよなぁ、と思ってしまいます。在来路線に対して、新しい幹線鉄道、ということで、新幹線なのでしょうが、もう創業何十年なんだから、新しくはないだろう、と思ってしまうのは私だけでしょうか?

 さらに不思議なもので、キーボードの配列。左上からQWERTと並んでいるがために、タイピングが初心者の人はなぜABCDEで並んでいないのか、とその不親切さを嘆いた方も多いと思います。有名な話ですが、このQWERTはタイプライター全盛時代からの配列。連続して文字を打ち込む際にタイプライターのバーが絡まらないように、と工夫されたものなのです。さらに、セールス・パーソンがタイプライターを売り込むときに、ささっと「TYPEWRITER」と打ち込めるように、TYPEWRITERの文字は一番上に配列されています。しかしながら、この配列、このようなバーがないコンピュータには全く機能的な意味がなく、さらに、「TYPEWRITERと打っても売っているのはコンピュータじゃないかよ」という21世紀では、全く意味がありません。では、なぜこのQWERTの配列がのうのうと生き残っているのでしょうか? コンピュータが米国のオフィスに導入された際、最初に使用したのはいわゆるピンク・カラーと呼ばれる女性事務職の方々。この方々が習熟していたタイプライターの配列とキーボードの配列を同じにしたほうが、スキルの転用が可能となり、よりコンピュータへの切り替えがスムーズにいき、その結果コンピュータが売れていく、という算段だったのです(まぁ、そのおかげでその後多くの日本人がタイピングの習得に泣かされることになるのですが)。

 もっと不思議なもので、コンピュータ、昔は色が白のコンピュータばかりでしたが、最近は黒、もしくはシルバーが主体となってきました。Judy Wajcman著『Feminism Confronts Technology』によると、電気製品の色は一般的な社会における性役割を表しているそうです。ソフトであり、イージーであり、家庭的であり、女性的な電気製品は白に塗られることが多く、ハードであり、ハイテクであり、機械的であり、仕事的であり、男性的な電気製品は黒に塗られることが多いといわれています。この考えに基づけば、例えば、電子レンジが発売当初は黒に塗られていたことは、電子レンジがハイテクなものであった時代を反映しており、現在のように白が主流となったのは、電子レンジが普及、定着し、家庭的電気製品のステータスを得たためだと考えられます。パソコンの場合、当初白であったのは、女性事務職員の方がメイン・ユーザーであったためで、それが、現在のように黒やシルバーが多くなったのは、パソコンのハイテク機器としてのステータスが職場内で高まるとともに、女性=事務職という図式が存在していない時代背景を映し出しているのかもしれません。これらのケースが意味することは、従来からの色と性役割の関係が存在し、それが引き続き現在の社会における「選択」ということに大きな影響を持っている、という点です。

 人間や組織、政府、そして社会は、様々な影響を受けながら選択を行っています。この中でも、過去の選択、経験や歴史的背景、学習といったものによって、現在の選択が制約を受ける現象を経路依存性(path-dependency)といいます。人間は過去の縛りがあって現在があるのだからこんなの当たり前だろう、と思われるかもしれませんが、不思議なもので、この過去の制約ということが、経済学や政治学、組織理論などの分野でシステマティックに研究されはじめたのは、それほど昔のことではありません。もちろん、古くは社会科学の分野で進化論を応用したハイエクやスペンサーなどの研究がありますが、近年では、1982年にRichard Nelson and Sydney Winterが書いたAn Evolutionary Theory of Economic Changeという本が、様々な分野で影響を持つ研究として考えられています。組織理論の分野でも、過去の経験と学習との関係が組織の戦略的変革や投資・成長戦略に与える影響についての研究が行われており、大いに注目されています。今回のコラムでは、この経路依存性に関連した、モーメンタム(organizational momentum)の考えを紹介したいと思います。

 モーメンタムとは、辞書をひくと、はずみ、勢い、運動量という日本語が当てられていますが、ここでは、組織が一度行った行動・選択を再度繰り返し行っていく傾向、を意味します。

 例えば、ライブドアという会社は、M&Aを通じて大きくなってきたそうですが、これからも更なるM&Aを通じて成長を続けていく方針、と新聞記事に書いてありました。モーメンタムの考え方から解釈すると、この企業は、成長のための選択肢として様々なものがあるなかで、何らかの理由M&Aを最初に選択し、その最初の選択が、次の選択へ、またさらに次の選択へと影響をもたらしている、と考えることができます。一度行った行動・選択が再度繰り返されている訳です。

 他では、堺屋太一さんの名著「組織の盛衰」からの例になりますが、豊臣秀吉の朝鮮出兵のケースもモーメンタムの考えで説明できます。秀吉は、自らの権力の拡大と部下への報酬方法を、領地獲得と領地配分で行い、天下統一を果たしました。したがって、天下が平定された後でも、この領地獲得と領地配分で国をコントロールするという方法を選択し続けようと試み、既に国内に配分する領地がないがために朝鮮半島に出兵したと考えられます。つまり、領地獲得と領地配分によるコントロールという最初の選択が、その後の選択へと大きな影響を持ち、一度行った行動・選択が、繰り返され続けたことになります。このような組織のモーメンタムに関する現象は、企業の買収相手先の選択、新規市場に対する参入、地理的市場の選択などに見られることが最近の理論的実証研究で報告されています。

 では、このようなモーメンタムはどのようなメカニズムから発生しているのでしょうか? このモーメンタムを説明するために、まず、「組織は問題解決のために使うコストを常に削減しようとしている」という前提を立てておきます。一般的な問題解決法として、問題発見→選択肢のリストアップ→選択肢それぞれの吟味→最良の選択肢の決定、のプロセスがありますが、このプロセスを、組織が直面する1つ1つの問題に適応していくことは、あまりにも意思決定のために使うコストが高くなりすぎ、不可能です(これをサーチ・コストといいます)。このサーチ・コストを安くするために、同じような問題が発生したときは、同じ方法で対処しましょう、その方がサーチ・コストが安くていいよね、という考えが組織内のルーティンを発生させます。そして、問題解決のルーティン化がモーメンタムを引き起こすと考えられます。

 2つ目の理由として、同じようなメンバーが、問題解決プロセスにおける選択肢のリストアップ作業に関わった場合、生まれてくる選択肢も毎回毎回斬新であるわけがなく、ある意味、マンネリ化してしまいます。たとえメンバーの面々が異なっていても、同じ組織に属している以上、メンバーは何らかの形で似通っており、リストアップにおけるマンネリ化が発生してしまいます。このマンネリ化が、同じ選択肢のみが選択されていく現象の原因ともなります。

 3つ目の理由としては、ある1つの選択を実行するには、それに関する知識やノウハウの習得が必要となります。1つの選択を行うことは、その選択にまつわる学習を促進することになり、この学習に対する投資を回収するために、同じ選択肢を選び続ける傾向があるとも考えられています。例えば、ライブドアは最初にM&Aを成長の戦略として選択した結果、M&Aに関する法律や株式市場に関する知識やノウハウを獲得します。そして、この知識やノウハウを再利用し、より学習経験の利用価値を高めるために、再度M&Aを行う、とこの考えに基づけば解釈できます。

 以上のような理由から、組織のモーメンタムが発生し、組織は常に過去の選択からの制約を受けると考えられています。私が現在所属する国立大学法人のような、比較的官僚的な組織では、「前例がないのでできません」の先例主義が蔓延しています。この先例主義とは、前にOKが出ていないような案件、前に検討されていないような案件の場合、みんなで規則や内規に関するファイルをひっくり返し、あーでもない、こーでもない、と話し合いをし、色々と考えた挙句には、上司とこの人から印鑑をもらうのが面倒くさいので、ルーティン化されたものでしか認められません、というものです。逆に、以前OKが出ている案件であれば、いまさら話し合うことでもないので、大丈夫です、という、サーチ・コストという観点からみると、多分の皮肉を込めて非常に効率的な組織と考えられます。このような傾向は、ルールが多い組織であればあるほど、調べる必要が多くなり、階層化が進んでいる官僚的な組織であればあるほど、必要な印鑑の数が増えるために、先例主義が横行し、その結果、組織が受けるモーメンタムの影響は強くなると考えられます。こういう組織では、常に、過去に行った決定の踏襲しかできなくなってしまうので、ある意味進化が止まってしまうことが予想され、サーチ・コストの節約化によって多くの機会が失われる危険性があります。

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