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生成AI、選挙活動にどう使う? 都知事選に挑んだAIエンジニア・安野たかひろ氏の“デジタル選挙戦略”とは

» 2024年07月22日 12時00分 公開
[石井徹ITmedia]

 歴代最多の立候補者が参加し、話題となった東京都知事選挙。結果は現職の小池百合子氏が3回目の当選となり幕を下ろしたが、マニフェストにテクノロジーを前面に打ち出した安野たかひろ氏の存在も話題を集めた。

 AIエンジニア、起業家、SF作家という多彩な経歴を安野氏。東京都知事選では約1カ月の選挙運動で15万票を獲得したが、この結果の背景には、デジタルテクノロジーを活用した新たな選挙戦略がある。

 安野氏は7月17日開催された「Developer eXperience Day 2024」に登壇。自身が用いたデジタル選挙戦略を紹介した。

AIエンジニアにしてスタートアップ経営者、SF作家でもある安野貴博(たかひろ)さん
7月開票の東京都知事選では15万票を獲得 これは30代の候補者としては過去22回で最多の得票数だった

大規模言語モデルを使った「ブロードリスニング型選挙」とは

 まず安野氏が行ったのは、従来の選挙の分析だ。これまでの立候補者は、候補者の主張をメディアが広く拡散し、一方的に有権者に伝える「ブロードキャスト型」の選挙活動を行っていた。これは2000年代以降、インターネットの普及により有権者が候補者に直接声を届けられる環境が整ったものの、膨大な量の意見を集約しきれないという新たな課題が浮上したことなどが背景にある。

 そんな中、20年代に入りChatGPTなどの大規模言語モデルが登場。安野氏は「さまざまな意見をうまく消化して一人の脳に入れることができるようになってきた」と説明する。そこで安野氏が目指したのは「ブロードリスニング型」の選挙活動だ。

 その要点は、多くの有権者の声を聞き、集約した意見を政策に取り入れ、さらに有権者それぞれに合わせた形で政策を発信することである。このブロードリスニング型選挙により、有権者の声を効果的に集約し、政策に反映させることを目指した。

有権者の声をテクノロジーで集約する「ブロードリスニング型」選挙を志向した

 より具体的には「聞く・磨く・伝えるのサイクルを高速で回す」ことがブロードリスニング型選挙だと安野氏は説明する。

 「みんなの意見を広く聞き、誰が何を考えているかを理解した上で案を磨き、最後に意思決定したことをみんなに伝える。この3つのサイクルを高速で回すことが他の候補との決定的な違いだった」

選挙期間中の有権者の声を取り入れてリアルタイムに政策に反映する体制を目指した

 一方で「いきなりみんなの意見を聞いても良い政策やアイデアは出てこない」と安野氏。そこでまずは、100人以上のエキスパートの意見を聞いて作成した96ページに及ぶ詳細なマニフェストを公開した。

 このマニフェストは、テクノロジーを活用して東京の未来を描くというビジョンと具体的なプランを示したものだ。公開後、SNSでのインプレッションは1000万を超え、多くの有権者の関心を集めることに成功。早稲田大学のマニフェスト研究会による内容の評価でも一頭地を抜く得点を獲得した。

マニフェストのテーマは「テクノロジーで誰も取り残されない東京へ」

選挙活動に生成AIをどう活用したか

 安野氏はブロードリスニング型選挙を実現するため、生成AIを駆使した最新のデジタルテクノロジーを活用していた。

 まず、SNS上の膨大な意見を効率的に分析するため、Xの法人向けAPIを活用し、都知事選に関わる多数のポストを収集。これらの主張をクラスタリング(特定のルールでデータを分類すること)し、API版のChatGPTを活用して分析を行った。例えば、石丸伸二候補との対談記事に付いた2000〜3000のコメントは、全て読むと時間がかかるが、この手法によって効率的に集約し分析できたという。

コメントをクラスタ別に集約 ChatGPTのAPIでコメント集団毎の概要を分析

 次に、GitHub上でマニフェストを公開。市民からの提案や意見を直接受け付け、政策をリアルタイムで更新していく手法を採用した。結果、8日間で157個の課題提起(イシュー)と69個の変更提案(プルリクエスト)が寄せられ、41個を実際に反映した。これらの市民参加型の修正を経て、マニフェストは第2版で130ページにまで拡充された。

 安野氏の支援部隊である「チーム安野」は、この過程で生じる大量の議論を効率的に管理するため、独自のモデレーションシステムを構築した。ワークフロー自動化サービス「GitHub Actions」で新しい投稿や変更を自動検知し、ChatGPTのAPIや、ベクトル検索DB「Qdrant」と連携。不適切な発言のフィルタリングや類似の議題の集約を自動化し、建設的な議論が進むようにした。

GitHubを活用して、マニフェストに対する意見提起を促した

 さらに安野氏は「AIあんの」と呼ばれるバーチャル候補者も公開。自身の政策を学習させており、ユーザーがYouTubeライブに投稿した質問や意見に24時間全自動で回答する配信を始めた。他にも、電話番号にかけるとAI安野に質問できる電話版も提供していた。結果、YouTubeライブ版は7600回、電話版は1200回以上の質問に答え、政策理解の促進に貢献したという。

合計8600回以上の質問に答えた

政治家の行動を決定づける“選挙活動のアーキテクチャ”

 この他にも、安野氏はVR空間での街頭演説など、新しいチャネルでの活動を積極的に取り入れた。従来の選挙活動では接点を持ちにくかった層にもアプローチする試みだ。他方、選挙活動はデジタルだけにとどまらなかった。障がい者福祉施設や離島などを実際に訪問し、有権者の声に直接耳を傾けるという地道な活動も行っていたという。

訪問活動は島嶼部からメタバースまで及んだ

 このようにして選挙活動を闘いぬいた中で、安野氏は1つの気付きを得たと話す。

 「チーム安野は政治家っぽくないねといわれる。あんまり他の候補者のネガティブキャンペーンをしないし、ちょっと雰囲気が違うと。なぜそんなに違うのか。違いの1つはマニフェストに“訂正可能性”があることだと考えた」

 従来型の選挙であるブロードキャスト型の選挙では、政治家がマニフェストを作成した後は訂正の余地がない。そのため選挙活動期間中に得た反対意見は否定するしかなくなる。

 一方、安野氏が提唱するブロードリスニング型の選挙では、マニフェストの改善点を議論して必要なら改修できる。このような“選挙活動のアーキテクチャ”の違いが政治家の行動を決定づけているのではないかというのが、安野氏の考えだ。続けて「訂正可能性があることを担保することで、より互いに攻撃的にならずに、分断を乗り越えて建設的な議論ができる土台を作れるんじゃないか」とも指摘している。

 安野氏は「チーム安野がやったような双方向型の選挙を未来の当たり前にしたい」と展望を示しており、今回の選挙のために制作したAIあんのなどのツールをオープンソースとして公開する方針だ。公開時期は8月を目安としている。

 安野氏の選挙活動は、意見の集約と発信の双方で従来の政治の在り方に一石を投じ、大きな反響を呼んだ。テクノロジーを活用した市民参加型の政策形成は民主主義の新しい形を実装する1つのモデルケースを示したといえるだろう。

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