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被災者を支える、地元ケーブルテレビの死闘 (前編)(4/4 ページ)

» 2004年11月09日 19時47分 公開
[小寺信良,ITmedia]
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 車のダッシュボードにカメラを固定し、各地域の路地の一つ一つを走って撮影して回る番組は、ほかのケーブルテレビでも放送時間が稼げる手段として、よくやる方法だ。

 だがここではもっと別の意味を持つ。一般の立ち入りが禁止されている地域から避難している人たちにとっては、今自分たちの家の近所がどういった状況なのか、現場に行かなくても知ることができる。車が入れないところは、カメラを担いで徒歩で歩いて回る。担当するのは、まだNCTに入社して間もない、若手男性社員だ。

 番組でもっとも視聴率が高いのは、長岡市災害対策本部会議の生中継だ。今、市内でどんな問題が起きているのか、それをどう行政が対処しようとしているのか、記者発表される前に被災者は把握できる。このスピードを超えるメディアは、ほかにない。はじめは生中継されることを拒んでいた対策本部だが、村山専務の交渉術で、9回目の会議からNCTだけが生中継を許された。

死闘

 ケーブルネットは、TVメディアにしては珍しい、インターネットに強いメディアだ。自社業務にはプロバイダー業務もあるため、自然に社員もネットにも強くなる。震災直後は電話が不通であったため、オフィシャルな情報はすべてインターネットがソースとなった。

 今も多くのソースをインターネットから収集しているが、もちろん報道の原則として、電話でも情報の確認を行なっている。だが相手先も個別対応に追われているためか、Webに載ってるので全部ですから、で電話を切られることもあるという。

 IP電話は、通常の電話と違って経路を迂回していくので、災害時には強いと言われている。だが自社のIP電話網の復旧が遅れたのは、技術委託している会社の本社ビルが、震災でセキュリティロックが壊れて解除できなくなり、復旧しようにも、朝の6時まで中に入れなかったのだという。その後、被害を受けなかった新社屋に機材を移して、復旧作業を行なった。

 筆者は、10月23日最初の震災直後からの映像を編集し始めた。素材を見れば、キー局で放送された映像だけを見ていてはわからないこともわかってくる。余震で悲鳴を上げながらも、カメラをしっかり抱えて守る女性社員。局からJR長岡駅まで続く遊歩道には、多くの住民が家から出て座り込んでいる。1964年に起きたM7.5の新潟地震を思い出したと、声を震わせる人もいる。

スタッフが撮ってくれたスナップ

 その一方で、カメラを向けた瞬間に「あんたたちはもう、お祭りじゃないんだからやめてよ!」とヒステリックに罵声を浴びせかける年配の女性の姿も映っている。普通の人の目には、ビデオカメラを担いでいれば、地元ケーブルも興味本位の民放ワイドショウも、同じにしか見えない。

 スタッフは誰一人、疲れたとは言わない。目の前にやるべきことが山積しているのだ。だがその疲労は、顔を見るだけでわかる。制服の黄色い蛍光色のスタジャンも、みんな薄く煤けている。少しでも編集作業を覚えたいと言って、筆者の後ろに座って見ていた若い男性社員も、いつのまにかパイプ椅子の中で崩れるように眠っている。

 直接関係のない人間が、テレビメディアを十把一絡げにして無責任に批判的なことを言ったり、書いたりする。いいさ、訳知り顔でなんか言いたいヤツには言わしとけ。ちきしょうめ。

 眠そうな目をしょぼつかせながら不平一つ言わずにがんばる若いNCTスタッフを思い、筆者は社内のトイレにこもって、少しだけ泣いた。

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