最初は単なるインフルエンザだった。熱は数日で下がったが、その後3カ月間、布団から立てなくなった。真冬の冷たい雨で足先の感覚がなくなるほど冷やしてしまったのがいけなかった。痛めていた腰が悪化してしまったのだ。
これでは長生きできないと恐ろしくなった。それで、完全歩合制の営業から足を洗うことにした。当時の和人はまだ20代半ば。何とか小さな商事会社にもぐりこむことができた。履歴書は貧弱だったが、実績がずば抜けていたし、何よりも人の懐に飛び込む術を知っていた。
手取りは、百科事典を売っていたころの数分の1になったが、安定した生活は悪くなかった。多少の残業はあったが、飛び込みで完全歩合の営業に比べたら楽なものだった。周囲を見渡す余裕もでき、同僚の女性と恋に落ち、結婚した。前職に比べたらわずかではあったが、それでも営業の歩合は入ってくる。暮らしは、なんとかなった。
しかし、5年も勤めていると飽きてきた。ちょうどそのころ、同僚が会社を辞めて電気製品の卸売会社をやるから、営業をやらないかと誘ってきた。ちょっとだけ考えたが結局、承諾した。
当時電気店はほとんどが系列店。そこに和人は飛び込んで行った。2年かかったが、商圏の電気店のほとんどに電球や乾電池などを卸すようになっていた。その会社は10年続いた。大型量販店が進出してきて、取引先のほとんどを潰すまで。
卸す先がなくなってしまえば、卸売業者は潰れるしかない。和人は40代半ばにして失業者になってしまった。ハローワークは、営業しかできない中年男には、決して居心地のいい場ではない。
「何か、資格があるといいんだけどねえ」
ハローワークの職員は事務的に、だが哀れむような口調で和人に言った。
必死に求人票を探して、ようやく見つけたのが、マイラインの営業の仕事だった。そこでトップ営業になった。余裕ができたので、全然売れない若い女性たちのために、売り方を教えた。すると、その女性たちも上位の成績を上げるようになったのだ。
それが口こみで評判になって、メールや電話で相談されるようになった。どこで調べるのか、中には見ず知らずの人間もいた。
「営業のコンサルタントでもやってみるか」
和人が漠然と思い始めたときに、かかってきたのが今回――営業所長への誘い――の電話である。実は、チャンスだと思う気持ちもあった。これで営業所長としてもトップになれば、コンサルタントとして大きな宣伝文句になる。
しかし結果は――。バカだった。欲をかいた。田島の言うように、自分は管理職の器ではないのかもしれない。断って、真っ直ぐコンサルタントへの道を歩みだすべきだった。雇われ所長とはいえ、たった2カ月で営業所をつぶした男に相談したいクライアントなんかいるものか。
負け犬への道をまっしぐらに進んでるのはオレだよ、アネゴ。
筆者の森川“突破口”滋之です。普段はIT関連の書籍や記事の執筆と、IT関係者を元気にするためのセミナーをやっています。
Biz.IDの読者には、管理や部下育成といったことや、営業など専門知識以外のビジネススキルに関することなどに関心を持ち始める年代の方が多いと聞いております。
そういう方々に役に立つ話として、実話をベースにした物語を連載することになりました。元ネタはありますが、あくまでもフィクションであり、実在の団体・人物とは関係ありません。
今回の物語は、ぼくのビジネスパートナーである吉見範一さんから聞いた話を元にしたものです。ある営業所の若い女性が起こした小さな奇跡について書きます。営業経験がなく、日本語が達者じゃないのに法人営業に成功した話が始まります――。
大学では日本中世史を専攻するが、これからはITの時代だと思い1987年大手システムインテグレーターに就職する。16年間で20以上のプロジェクトのリーダー及びマネージャーを歴任。営業企画部門を経て転職し、プロジェクトマネジメントツールのコンサル営業を経験。2005年にコンサルタントとして独立。2008年に株式会社ITブレークスルーを設立し、IT関係者を元気にするためのセミナーの自主開催など、IT人材の育成に取り組んでいる。
2008年3月に技術評論社から『SEのための価値ある「仕事の設計」学』、7月には翔泳社から『ITの専門知識を素人に教える技』(共著)を上梓。冬には技術評論社から3冊目の書籍を発売する予定。
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