第6回 助けに来てあげなよ奇跡の無名人たち(1/2 ページ)

今月もあと5日で終わる。このままだと目標には100回線ほど足りない。所長室から見える空は真っ青だったが、和人の心は、この数日全く晴れていなかった――。

» 2008年09月24日 10時00分 公開
[森川滋之,ITmedia]

前回までのあらすじ

 ある通信事業者から営業所長を頼まれた吉田和人だったが、最初の1週間の営業成績は0回線。巻き返しを図る和人は、本部に内緒でチーム編成を刷新する。新編成が功を奏して、徐々に結果も出てきたが、そんな時、営業本部からの呼び出しがかかる。

 本部の要求は、目標に達しなければ営業所を統廃合するというもの。和人のヨミでは100回線ほど足りない。「このまま営業所が潰されたら、みんなただの負け犬になっちゃいます」と部下の声。「負け犬は、オレのほうさ」――ふさぎ込む和人の胸のうちには、去来する過去の挫折があった。

奇跡の無名人たち バックナンバー


 5月もあと5日で終わる。和人のヨミは正確だ。このままだと今月の目標にはやはり100回線ほど足りない。所長室から見える空は真っ青だったが、和人の心は、この数日全く晴れていない。

 ここに来て、マザーとクオーターの仲良しチームの伸びが止まってきたのが気にかかる。様子を聞いても、頑張ってるんですけどとしか言わない。ちょっと変わったことと言えば、今までタメ口をたたいていた大口兄弟の口調が、多少丁寧になったぐらいだった。どんな心境の変化だろう。そういえば、ロバさんチームの残業が少し増えている。みんな頑張ってくれているんだ。

 実績としても4月の倍以上売り上げている。これを材料に、田島に何とか譲歩してもらおう。和人が作戦を考えていると、アネゴから電話が転送されてきた。何だか急いでいるらしい。

 「椿森電器の飯田と言います。おたくの社員がうちに来て、何かしゃべってるんだけど、日本語が変でよく分からないんですよ。ただ、マイラインを入れてほしいということだけは通じています」

 椿森電器といえば、C市内では大手の会社だ。コールセンターも持っているので、電話の回線数は多いはず。さては大口兄弟が意味不明の日本語で説明して、ヒンシュクを買っているのだろうか?

 「所長の吉田です。弊社の社員がご迷惑をおかけしてすみません。申し訳ありませんが、うかがっている者の氏名を教えていただけませんか」

 先方が告げたのはクオーターの名前だった。法人は無理だと言っていたクオーターがなぜこんな大きな会社にいるんだ? マザーは一緒じゃないのか?

 「今すぐ来てもらえませんか? こんな若い子が一生懸命頑張っているんだ。すぐに助けにきてあげなさいよ。あなた、上司なんでしょ?」

 和人は、知らせてくれたことに対して丁重にお礼を言って、電話を切った。営業カバンはいつでも外出できるようスタンバイ状態だ。ネクタイを締め直して、無造作に上着をつかむと事務所を飛び出した。エレベーターを待つ時間ももどかしく、階段を駆け下りた。幸いにも流していたタクシーがすぐにつかまった。15分後には、椿森商事の簡素な応接室に案内されていた。

 ドアを開けると、クオーターが必死に説明している姿があった。マザーはいない。椿森電器の社員は、電話をかけてきた飯田を含めて3人いたが、全員熱心に聴いていた。

 そのうち1人が聞き直した。「それは、さっきも聞いたので、なんとなく分かったんだけど、結局うちは、どの部署の回線を、どのサービスにすればいいのですか。もう一度説明しもらえますか」

 「えー、それは……。えーっとですね。こちらのここに漢字で書いてある、えー、これのですね」。しどろもどろのクオーター。

 さっきからこんな調子なんだろう。それでも、椿森の社員は聞き出そうとしてくれている。そして、クオーターはたどたどしい日本語だが、真剣に対応している。その様子を見ただけで、和人の目に涙が浮かんできた。

 「あ。所長」

 気付いたクオーターに、和人は慌てて汗を拭くふりをした。

 「すみません。弊社の社員が迷惑をかけているようです。私が変わってお答えします」

 そう答えようとする和人をさえぎって、飯田が口を開いた。

       1|2 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ