30歳過ぎまでさえなかった、「あまちゃん」ディレクターの仕事術発想をカタチにする技術(1/2 ページ)

NHKで「サラリーマンNEO」や「あまちゃん」を担当したディレクターが、企画やアイデアの作り方、特に、新しいアイデアをいかに多くの人に受け入れてもらうか、そのコツをまとめました。

» 2014年01月23日 12時00分 公開
[吉田照幸,Business Media 誠]

集中連載『発想をカタチにする技術』について

 本連載は、2013年11月14日に発売した吉田照幸著『発想をカタチにする技術 新しさを生みだす“ありきたり”の壊し方』(日本実業出版社刊)から一部抜粋、編集しています。

 どんな会社でも、面白いことは始められる! あの「サラリーマンNEO」を生み出し、「あまちゃん」を担当した異色のNHKディレクターの仕事術!

 面白いアイデアを思い付いても、それを伝えて思惑通りに実現していくのはなかなか難しいもの。ともすると「前例がない!」「そんなのできない!」という声にかきけされてしまいます。

 そんな中で、会社からも多くの人からも認められるものを作るには「きちんと人に伝えること」「自分の意思を通すこと」でも「独りよがりにならないこと」が大事です。

 さらに、そのアイデア自体が画期的であれば、一番です。本書では、30代まで芽が出ず退職を考えていたという、異色のNHKディレクター吉田照幸氏(2013年9月よりNHKエンタープライズ)の番組制作での経験を交えながら、尖っているのに愛される企画の作り方や通し方、アイデアの発想法などを紹介します。


 本記事は、「日頃、悶々としている人」のために書きました。ええっと……いやいや仕事に、です。もちろん。そして先に言っておきます。僕が作ってきたコント番組を題材にしていますが、中味は結構マジです。

 30代前半まで僕はなんの変哲もない1人の職員でした。レギュラー番組を淡々とこなす日々でした。それに満足もしていました。あるとき、自分の力で番組を企画しなければならなくなりました。まったく通らず落ち込みました。それまで、実際にはやってもいないのに、どこかで自分はやればできると思ってました。はかなく散ったちっぽけで尊大な自信。退職まで考えました。そんな八方塞がりの土壇場で「サラリーマンNEO」は生まれました。

 ご存じない方のために説明すると、「サラリーマンNEO」は、サラリーマンを題材に個性派俳優がシュールな笑いを演じる、NHKのコント番組です。深夜、NHK総合テレビで毎週放送していました。海外ドラマのように半年クールのシーズン制をとり、シーズン6まで続きました。一切の説明なくコントがはじまるし、NHKの番組をパロディにするし(もちろん愛をこめて!)、内容もシュールで、従来のNHKからしたら、まったくもって異例な番組です。

 当時のNHKの番組ラインナップの中で完全に浮いたこの番組は、好評を博しました。「チャンネル間違えた!」という人が続出しました。その興奮は一部の人を熱狂させ、特番だったものがレギュラー化にいたり、あれよあれよと国際エミー賞コメディ部門に日本初のノミネート、さらに2年連続ノミネート、そして映画化まで至りました。誰もが想像だにしない成長でした。

 そしてそのおかげで、連続テレビ小説(通称連ドラ)「あまちゃん」の演出に誘われ、漠然とつくれたらいいなあと妄想していたドラマも撮ることができました。しかも大ヒット!

 パチパチ。NEOの制作体制は、NHK史上に類のない異例な形式でした。通常、レギュラー番組は何人かのディレクターが持ち回りで演出するのですが、NEOの場合は、僕1人です。

 芝居なんて撮ったことない。役者さんなんて紅白歌合戦の審査員をしているのを見たことがあるくらい。本格的なスタジオコント番組は、NHKの中で誰もやってない。つまり、ノウハウはゼロ。とりあえず大河ドラマの台本を借りてきて、へー、台本ってこう書いてあるんだ、カット割り(カメラや役者の位置が書いてある撮影の設計図)ってこういうものなんだ、とまさにゼロからのスタートでした。

努力してもうまくいかないとき

 努力してもうまくいかない、って思うことはありませんか? 人一倍、残業して努力しているよ、とか。ムリな依頼も断らずに、仕事をしているよ、とか。何本も企画を出しているのに、1つも通らない、とか。しまいには、「この上司だからうまくいかないんだ」「この会社の方針が合ってないんだ!」。そんな愚痴もこぼしたくなります。

 でも、それって大概努力の方向が間違っているんじゃないか、と思うんです。僕は、本当は報道を希望していたのですが、最初はエンターテインメント番組部に配属されました。歌番組やバラエティ番組などをつくる部署です。仕事は、ご存じの「のど自慢」から始まりました。

 皆さん、どう思いますか。大学を出てNHKに入ったとします。これ、少し自慢です。なのに、飲み会で集まったときに、「おまえ、どんな番組やってんの?」と聞かれて、「のど自慢」と答えると、失笑が漏れるのです。本当は「ドキュメンタリーをやっている」とか、「ニュースをやっている」とか、言いたいのです。若いですから、特に。「のど自慢」もいい番組です。人がすごく喜びます。出場者の方々は本当に仲良くなって、10年たっても同窓会をやっている人がいます。それほど愛されている番組なんです。でも、「のど自慢をやっている」と言ったときの(おそらく苦笑いの混じった)旧友の反応を想像すると、20代の自分は、堂々とそれを言うのがはばかられるのでした。

 「紅白歌合戦」で1年目のときに僕がやった仕事というと、輸送です。「レコード大賞」の会場から、歌手の方をNHKのホールまで連れてくる役目です。同期は皆、ステージの中にいてフロアディレクターをやっています。僕は外で寒い中、タクシーに乗っていました。本当に屈辱的でした。要するに、僕の評価は悪かったということです。

 だからそれを克服するために、自分なりに努力しました。でも変化は起きず、10年たっても同じでした。同期は、紅白歌合戦の主要なポストについていました。僕は美術の実質3番手のポジションでした。「どうせ、アイツは……というイメージが固定化してしまうと、なかなか、そこから抜け出せないのかな」と考えていました。

 言い訳です。当時気づかなかったことが今は分かります。僕は枠組みの中で与えられたことを一生懸命やっていただけなのです。NEOを作る過程は、自分にとっても、局にとっても、それまで前例がないことばかりでした。すべてがはじめて。でも、暗中模索を繰り返す中でうまくいくコツに気づきました。それが「自分から離れる」ということです。

アイデアは他人の声から始める

 離れていてよいことの1つは、自分の考えに固執しなくなる、つまり、人の声に耳を傾けられるようになる、ことです。

 僕は、30代前半に新しい番組を開発する専門の部署に配属されました。自分で希望して異動させてもらった部署です。レギュラー番組はなく、ただひたすらに新しい番組をつくる、というプロジェクトでした。当然ながら、この部では企画が通らないと、誰かの番組の手伝いをする、という仕事しかありません。

 僕は出しても出しても通りませんでした。唯一(温情で)通過した、椅子をモチーフにしたおしゃれな番組があります。最後の試写(放送前に局の中でチェックします)で、部長からは、「吉田、これでいいのか?」と聞かれました。「はい」と答えると、部長はそのまま退室していきました……。

 もちろんレギュラー化なんて話はなく、その後は人の企画の手伝いをする日々です。部署は15人前後の小さな所帯。同期も多く(しかも自分の企画を通して、これから作る番組への希望を語っています)、仕事もなく、辛い日々でした。旅が嫌いなのにNYに1人旅をしました。すっきりしましたが、だからといって新しい企画がNYの刺激で見つかった!

 なんてことはありません。ただステーキの脂肪を蓄えてきただけです。ともかく、僕はお先真っ暗でした。そんなとき、同窓会がありました。普段はめったにこういうところに顔を出さないのですが、そのときはふと、行ってみようかな、という気になりました。そして、当時はプライドが高かったので、これもめったにないことなのですが、旧友に質問しました。「NHKで何が見たい?」って。すると……、

 「コントが見たい」。

 いやいやいや、ないないない、とすぐに思いました。漫才ならともかくNHKでコントってありえない。しかも当時コントは視聴率がとれず、民放でも風前の灯火。しかも、だいたいこのとき僕は「笑い」を作ることに……まったく興味がありませんでした。だけど、どうにもぼくの心にその言葉が引っかかって離れない。理屈じゃなくて直感です。

 追い詰められていたので、次の提案会議で、僕は2つの企画を出しました。コントの企画と家族をテーマにしたバラエティの企画です。

 家族をテーマにしたバラエティの企画は、自信がありました。内容は、全国の家族がクイズをして、1位を競うというものです。ネット環境が整う中で、NHKは視聴者と双方向のコミュニケーションがとれる番組を求めていました。それにはまる企画です。

 提案会議では、部長、プロデューサー2人、ディレクター14人の前でプレゼンを行ないました。最初に、家族をテーマにした番組の企画について、「この企画は絶対あたります」と切り出した瞬間、プロデューサーに「そういうの要らないから。あたるとかそういうのは、俺らが判断するから」とあっさり出鼻をくじかれ、あとはしどろもどろ。ひと通り説明はしましたが、そのあと一言、「ないな」。終わりです。また落ちたかとうなだれました。

 しかし、その厳しい意見を言ったプロデューサーが、次の企画の説明をする前に言ったのです。「コントいいね!」すると、「コントならどんなものが見たいか」という発言が会議で相次ぎました。

 企画書には、アメリカのシチュエーション・コメディっぽいコント番組としか書いてない。サラリーマンを題材にするとも個性派俳優を起用するとも、なんにも具体的なことは書いてない。なのに……ウケている。「なんなんだ! これは! これまで苦労してきたのはなんだったんだ!」という戸惑いと怒りと、はじめて企画がウケた喜びが心の中でぐるぐるうごめき混乱しました。

 きっかけは、友人のたった一言です。当時はまだ気づいていませんでしたが、今いい企画は何か? と問われれば、人が喜ぶもの……と答えます。

 それまで、自分がおもしろいと思ったものしか企画として出していませんでした。人が通した企画を見て、「なんで人はそれをおもしろいと思うんだろう。自分はちっともおもしろいと思わないのに」と考えていました。大きな間違いです(だから通らなかったのだと、今は思います)。

 新しくてもどんなに斬新でも、人の共感を得られなければ、ただのエゴです。かといって、ありきたりでは人は喜びません。共感できる新しさが企画のキモです。そのためのスタートは、他人の声です。時代の、声にならない声です。自分の興味なんてどうでもいいんです。

 大事なのは人の声に耳を傾けること。つまり……、エゴ=自分から離れることです。提案も意見も全然通らない、という人は、一度振り返ってみてください。自分の意見を聞いて欲しい気持ちと同じくらい、人の声を聞いていますか?

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