指導のつもりが“オレ流”の押し売りに――後輩をつぶす“勘違い”教育法サイボウズ式

きっちり指導しているつもりなのに後輩がついてこない――。そんなときは、自らの指導法を振り返ってみることだ。その指導、“自分流の押し付け”になっていないだろうか?

» 2014年07月16日 11時00分 公開
[サイボウズ式]

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本記事は「サイボウズ式」に掲載された「後輩教育で自分の「個性の押し売り」は後輩をつぶしてしまう」から一部抜粋・編集して掲載しています。


 チームでうまく仕事を回していくために、「後輩教育」は欠かせないものだ。

 一般的には、勤続期間が浅いメンバーは経験値が低いため、スキルも低いケースが多い。それゆえ彼らの伸びしろがチームの力を左右することになる。彼らの成長は、先輩たちの仕事のしやすさに直結するのだ。

 さて、僕を教育してくれた先輩は何人もいるし、僕も何人かの後輩教育に関わった。また、先輩や同僚がだれかの教育をするのも見てきたが、そんな中で感じたのは、「自分のコピーを作りたがる先輩がメチャクチャ多い」ということ。“自分流の仕事スタイル”を後輩に仕込もうとする人が、意外と多いのだ。

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そもそも後輩教育とは?

 会社における後輩教育では、本来、仕事に必要な要素を「まんべんなく教える」ことを目標とするべきだ。背景となる業界の知識、業種ごとに必要な専門知識、キーパーソンを中心とした内外の人間関係、そして仕事に向き合う姿勢そのものなどだ。新人であれば、社会人としてのイロハや飲み会での振る舞いも含まれるかもしれない。これらを総合的に吸収していくことで、ヒヨッコだった新人も「社会人っぽく」なってきたに違いない。

 実直な仕事で信頼をつかんでいく人、圧倒的なプレゼン力で人を説き伏せてしまう人、気合い一発で数字を出していく人、徹底的な“人たらし”スキルで世渡りしていく人……。こうした“自分なりの個性”と“仕事の基本”との組み合わせで、新人は新人なりに仕事のスタイルを築いていく。しかし、この個性にあたるところまで、自分のスタイルを仕込もうとする先輩がいるからやっかいだ。

指導のつもりが“自分のスタイルの押し売り”に

 僕が新人のときの教育係は、作成した資料全体をチェックする前に全ページのフォントを確認するところからスタートし、「ここの部分だけフォントが違う」と言い出すような人だった。当時、僕が感じた「確かに手を抜いたけど、ソコ、そんなに大事?」という感覚は、今でもおかしくなかったと思っている。ダメ出しされるなら、中身から入ってほしかったのだ。

 この人とはソリが合わなかったけど、“仕事ができるか、できないか”で言えば、できる人だったとは思う。細やかにチェックする目線が生きるシーンは幾度も見てきたし、それが「あの人がチェックしたなら間違いない」というメンバーからの信頼感にもつながっていた。

 彼の教育の軸は「ミスがないこと」であった。生来、何事も勢いでこなしていこうとする僕は、学生時代のテストでもケアレスミスで100点を逃すことが多く、そういう意味では彼の指導は弱点を指摘してもらえる良い機会だった。しかし、“その1点で全否定されるかのような評価”が多かったのも事実だ。当時、僕はまだ実務上では芽が出ていなかったものの、メンバーと良好な関係を築くスキルや目上の人から可愛がられるキャラクターで褒められることが多かった。でも、そんなところは彼にはまったく認めてもらえなかった。

 後輩の育成において、こういった“自分のスタイルの押し売り”は、実はさまざまなカタチで頻繁に行われている。それは、後輩の特性(個性の種)を生かした教育ではなく、自分が優位性を持っているものを基準とした“良し悪しの判断の押し付け”でしかない。後輩のモチベーションを下げ、後輩をつぶしかねない。

 たとえば彼の「ミスに対する目線」は本当に素晴らしかったけれど、それは“業務上で絶対に必要なミスの排除”というわけではなく、後輩を育てるよりも腐らせるほうに作用してしまった。指導してもらうこと自体は好きで、素直に聞くタイプの僕ですら辟易する窮屈さだったのだ。

自分と後輩の特性・個性は違うと心得よ

 自分と後輩とでは特性も個性も異なる。彼や彼女が生き生きと働けるスタイルは、自分と違うことを念頭に置いた上で接する必要がある。間違っても、自分の得意分野を優劣のジャッジの基準にして、その価値観やスタイルを“仕込もう”としてはいけない。そもそも、絶対的に正しいスタイルなんて存在しないのだから。

 とはいえ、“仕込むべき”ところは確かにある。それをどの視点から見極め、どこにポイントを置いて指導するかが重要だと思うのだ。例えば、後輩の特性や個性ゆえに現れがちな欠点はきちんと指導すべきだろう。先の逸話の数年後、僕は見積もりで原価計算のミスをし、100万単位の利益の損失を出してしまったことがある。こういった、「ちょっとした注意で避けられるはずのあるまじきミス」については、個性は免罪符にならない。ちなみに、この時の世話役の先輩は、落ち込んでいる僕に「ははは、とことん反省しろ。いい勉強したな」と声をかけてくれた。今でも尊敬している人だ。

 いろいろな特性や個性を持ったメンバーが、それぞれにできないことを補いながら、それぞれの力を発揮して目標を達成し、チームとして機能する――。これがまさしく理想的なチームワークの形だろう。(ファーレンハイト)

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