「名将」の予感を漂わせる、ソフトバンク・工藤監督の“人心掌握術”赤坂8丁目発 スポーツ246(2/4 ページ)

» 2015年09月24日 06時40分 公開
[臼北信行ITmedia]

指導者としての片りん

 例えばパ・リーグ与四死球ランキングで上位にランクインしてしまっている中田賢一と武田翔太だ。課題となっている両者の制球力を何としてでも向上させようと、それぞれが先発した試合で他の監督ならば迷わず交代を告げそうな局面であっても引っ張って起用し続けて自分の力だけで窮地を乗り切らせたことも実際にあった。

 マウンドでピンチを乗り越えてこそ投手は大きく成長する。その壁をクリアできずに交代を告げれば、いつまで経っても同じことの繰り返しだ。長いシーズンでローテーションを守ってもらわなければならないからこそ指揮官は先発投手に対して、その考えを貫く。現在の日本プロ野球最長記録となっている現役29年間で培った工藤監督ならではのピッチング理論と読みの深さ。長年の蓄積と経験がなければ、なかなか簡単にマネはできない。

 こうした指導者としての片りんは、長い現役生活の間でも垣間見る。ソフトバンク、阪神、マリナーズで活躍した名捕手・城島健司氏(現引退、以下敬称略)を一人前に育て上げたのも、現役時代の工藤監督の手腕によるところが大きかった。福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)在籍時代、一軍に定着してバッテリーを組むようになった城島を徹底教育。あえて首を振らずに城島のサイン通りに投げて打たれた試合後、本人に痛打の理由を考えさせるなど泥を被りながらの指導を施して成長を促した。城島から「恩師」と仰がれる理由はそこにある。

 2000年から7年間在籍した巨人時代にも、選手たちに自らの遺伝子を教え込むシーンが何度か見られた。2001年夏、当時ルーキーながらチームの正捕手に抜擢(ばってき)された今をときめく阿部慎之助を横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)戦前の横浜スタジアムベンチ裏で呼び止め、次のように言い放ったこともある。

 「何でオレに何も聞きに来ないんだ? 何か疑問に思ったならば質問してきて当然だろう? 城島は何度もオレに聞いてきていたぞ。遠慮することはないんだ。どんどん聞きに来いよ!」

(写真はイメージです)

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