三六軌間の採用と改軌論の失敗を教訓に、日本社会は規格に対して慎重になり、アイミツを習慣としたかもしれない。その意味で、鉄道にとっては不幸だったけれども、その後の日本社会の教訓として役立ったといえそうだ。
「新幹線開業で日本の国有鉄道は世界標準規格となった」とか「在来線は新幹線に劣る」とか、とかく在来線は格下に見られている。しかし、三六軌間を採用したおかげでメリットもあった。鉄道のガラパゴス化によって、日本は独自に鉄道の技術を発明、発展させて、世界に類を見ないほどの安全性、定時性を作り上げた。
英国をはじめ、欧米はもっと日本にレールや車両を売りつけようと思っていた。しかし、欧米が予想した以上に日本人は勤勉で、技術の習得が早かった。1893年には蒸気機関車の国産化に成功、1912年には大型機も製造した。1913年には量産型9600形を開発。現在は1台だけ稼働している。JR九州の「SL人吉」だ。1901年に官営八幡製鉄所が国産のレールを製造開始する。
日本の鉄道網の発展も速かった。日本製のレールと機関車によって、鉄道開業から30年間で約7000キロメートルの路線網を形成した。三六軌間の特性が日本の地形にとって適切だったといえる。それから今日に至るまで、欧米の鉄道産業は日本で大きなチャンスがなかった。市場が閉鎖的という批判もあるけれど、日本は標準軌ではないから、欧米のメーカーは鉄道車両を売りにくい。せいぜい部品止まりだ。
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