全国新幹線計画は「改軌論」の亡霊杉山淳一の「週刊鉄道経済」(1/3 ページ)

» 2015年10月09日 08時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]

杉山淳一(すぎやま・じゅんいち)

1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲーム、PCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』、『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。 日本全国列車旅、達人のとっておき33選』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP


「線路の幅」の基礎知識

 「日本は線路の幅が狭い、世界標準ではない」と一般に言われるけれど、この線路の幅という言葉に引っかかる。線路とはレール、枕木、敷き詰めた砂利やコンクリートの地盤をすべて含めたものを指す言葉だ。だから線路の幅は一定ではない。平地では広く、トンネルや鉄橋では狭くなる。一般に言われる「線路の幅」とは、2本1組のレールの間隔を言う。「軌道の間隔」という意味で軌間と称する。

 日本で最初に開業した鉄道の軌間は1067ミリメートルだった。これが現在もJR在来線の軌間として続いている。大手私鉄も採用し、全国に鉄道ネットワークを形成している。1067ミリメートルは半端な数字だけど、メートル法以前の標準だったヤード・ポンド法では3フィート6インチ。1フィートは12インチだから3フィート半。割と切りの良い数字だ。日本では三六軌間とも呼ばれている。

線路の幅と軌間の違い 線路の幅と軌間の違い

 新幹線と在来線の比較で語られるように新幹線は軌間が広い。スピードを上げて安定走行するためだ。新幹線の軌間は1435ミリメートルである。これはヤード・ポンド法では4フィート8と1/2インチ。欧米の鉄道はこの軌間が標準であり、1435ミリメートル軌間を標準軌という。標準と呼ぶには三六軌間より半端だけど、これは元々、馬車の轍(わだち)の4フィート8インチに由来する。馬車軌道でもこの軌間だったけれど、鉄道ではこれが1/2インチだけ拡大された。高速化して曲線をスムーズに走るために広げたという説が有力だ。

鉄道開業以来146年間のガラパゴス?

 日本の国営鉄道は開業当初から世界標準ではなかった。私鉄のいくつかは標準軌を採用したけれど、国土を網羅する鉄道ネットワークは狭軌だ。そのために日本は高速化と大量輸送の面で苦労し続けた。新幹線と並行在来線の問題、青函トンネルの新幹線と貨物列車の共存問題などを見れば、それは今日までも及んでいることが分かる。実は、明治時代から三六軌間を採用した後悔は始まっていて、歴史上、何度も改造論が起きている。

 鉄道開業後からわずか15年後に法案が提出され否決。日清戦争後の1896年も検討されたが実現せず。日露戦争後に満州鉄道で標準軌を経験すると、日本国内も世界標準に改めるべしという声が高まった。その後も戦時需要の増大に応じて改軌の要望が出された。しかしすべて否決される。

 改軌論が反対された理由は資金だ。当初は既存の路線を改造するよりも、いち早く新路線を作る必要があると判断された。この考え方は「建主改従」と呼ばれている。そして、日本全国に鉄道路線網が出来上がると、それだけ改造費用も高くつく。「改主建従」をやりづらくなっていった。

狭軌と標準軌 狭軌と標準軌

 鉄道が旅客列車だけなら、新路線を標準軌で作っても良かったかもしれない。旅客は駅で乗り換えてくれる。しかし、当時の鉄道の主役は貨物輸送だった。貨車を直通させるためには軌間を統一する必要があった。民間の鉄道について定めた地方鉄道法なども狭軌と定められた。将来の国営化を考慮したからだ。

 第二次大戦時、国はとうとう東海道本線に標準軌の新線を作って高速列車を走らせようとした。これは弾丸列車計画と呼ばれ、後に新幹線として結実する。日本の鉄道ネットワークは、1964年の東海道新幹線開業をもってやっと標準軌を手に入れた。現在、全国に新幹線網が構築されつつあり、2016年3月には北海道新幹線も開業する(関連記事)。次は北陸新幹線延伸(関連記事)、九州新幹線西九州ルート、1970年に定められた基本計画路線は日本列島をほぼ網羅する……これは歴史上に何度も現れては消えていった改軌論の亡霊かもしれない。

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