新春トレンドカレンダー:どうなる? 日本の未来 〜今年のトレンドはこう動く〜

ファミレスでタダでバラまく新聞が、「軽減税率適用」を求める理由スピン経済の歩き方(4/6 ページ)

» 2016年01月05日 08時05分 公開
[窪田順生ITmedia]

外国人ジャーナリストが驚く日本の新聞業界

 1993年5月25日の『東京読売新聞』で外務省情報新聞局参事官ウラジーミル・ワシーリエフが語ったところによると、「ソ連時代、平均して家庭では4つの新聞を購読してきた」らしい。全国紙から2紙、スポーツ紙、そして映画など趣味の情報を入手する新聞だという。新聞読むことくらいしか楽しみがなかったんじゃないのと思うかもしれないが、そうではない。国家から手厚い保護で、とにかく総じて新聞の価格がおさえられていたのだ。4つの新聞を購読しても毎月かかるコストはランチ2回分程度だったのだ。つまり、新聞の「安さ」というものが、「併読」を生み出し、それが1000万部超えの部数を実現させたというわけだ。

 こういう視点で、日本の新聞を振り返ってみれば驚くほど似ていることに気づく。

 「新聞を定期購読しなければ社会人にあらず」という時代を思い返してほしい。よく上司などから「新聞は読み比べしろ」と言われたはずだ。経済情報は「日経」、保守的なことは「読売」「産経」、リベラルやら大学受験といえば「朝日」みたいな感じだ。書いてある内容に大差がないにもかかわらず、このような「併読文化」が生まれた最大の要因は、「安さ」である。家計に対してそこまで大きな費用負担にならないということと、「知らないと恥ずかしいからとりあえずナナメ読みしとくか」という世間体が相まって、旧ソ連並の巨大発行部数を生み出したのだ。

 そういう共通点に加えて、トップに「経営」の視点が欠けているところも瓜二つだ。時の旧ソ連の新聞事情について解説をした『読売新聞』の記述が、そのポイントを的確に表しているので、引用しよう。

 共産主義時代には経営に腐心する必要はなかった。共産党・国家のマスコミである以上、金の心配は国家がしてくれたからだ。新聞社やテレビ局に社長がいなかったのもそのためである。新聞社のトップは編集長だ。(読売新聞1993年5月19日)

 この新聞社のトップが「編集長」というのは、日本にもそのままあてはまる。実は外国人ジャーナリストたちが「スゴいですね」と驚く日本の新聞業界の特徴に、「記者が社長になる」ということがある。世界の常識では、記者は死ぬまでジャーナリストであり、50歳を過ぎたからといって唐突に経営者へ転身をしない。だから、海外のメディア企業は外から経営のプロを招く。しかし、日本では政治部や経済部で頭ひとつ飛び出た記者が出世階段をのぼって、いつの間にやら経営に携わるようになる。世界の常識に照らし合わせれば、「編集主幹」などの編集部門のトップにおさまるべきだが、どういうわけか日本ではある程度の社歴を越えた記者は、将棋の「歩」が「と金」に成るように、自動的に「経営者」を名乗ることができるという奇妙なシステムがあるのだ。

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