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ファミレスでタダでバラまく新聞が、「軽減税率適用」を求める理由スピン経済の歩き方(5/6 ページ)

» 2016年01月05日 08時05分 公開
[窪田順生ITmedia]

国家からの手厚い「支援」を求める

 なぜ日本では新聞社のトップが「ジャーナリスト」なのか。なぜ無料配布キャンペーンに象徴されるように「経営」の視点が欠如しているのか。

 すべての疑問は、この国の新聞が欧米型ジャーナリズムではなく、旧ソ連型の「経営に腐心しないことに重きを置く共産主義ジャーナリズム」だと考えれば辻褄(つじつま)が合う。

 旧ソ連の全国紙は民主主義が流入したことで急速に衰退していった。国からの支援を受けられず、値段が上がったからだ。1050万部あった『イズベスチヤ』は1993年には10分の1の110万部に、『プラウダ』にいたっては61万部まで落ち込んだ。

 この部数激減について、かつて日本のマスコミは「ロシアジャーナリズムの危機」なんて顔をしかめて報じたものだが、冷静に考えればこれまでの部数が「異常」だっただけで、欧米の新聞同様に市場に対して適正規模になったというだけの話である。

 「危機」どころか国民にとっては大きなメリットも生まれた。「全国紙」という名の機関紙の勢力が衰えたことで、さまざまな規模のメディアが生まれた。かの国にそこまで言論の自由があるのかという問題は別にして、1000万部やら900万部というお化け全国紙が滅びたことは、「ジャーナリズムの多様化」をもたらしたのだ。

 かつて『プラウダ』や『イズベスチヤ』と同様に1000万部を誇った中国共産党の機関紙『人民日報』ですら最近では100万部程度に落ち込んでいる。多くの中国人にとって「全国紙」が中央政府とズブズブだといのは周知の事実であり、「今はこういうプロパガンダをしているんだな」という確認のために購読する人しかいないからだ。つまり、「全国紙」の衰退というのは、「ジャーナリズムの民主化」をはかるひとつの目安でもあるのだ。

 そう考えると、国民にドン引きされるなか、新聞社がなりふりかまわず「軽減税率適用しろ」とゴネ続けたのもうなずける。『人民日報』や『プラウダ』という同志がバタバタ倒れていったことで、日本の全国紙は「経営に腐心しないことに重きを置く共産主義ジャーナリズム」の最後の砦となっている。ここで踏ん張らないことには欧米型の新聞ジャーナリズムが流入してしまう。つまり、『読売新聞』や『朝日新聞』が100万部程度に落ち込み、多くの社員が路頭に迷ってしまうのだ。

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