「日本人より日本人らしい」DeNAラミレス新監督の“人間力”赤坂8丁目発 スポーツ246(2/4 ページ)

» 2016年02月10日 08時00分 公開
[臼北信行ITmedia]

日本人以上に“フォア・ザ・チーム”の精神

 2001年のヤクルトスワローズ時代。来日1年目でありながらチームの主力選手となって活躍していたラミレスを何度か取材する中で、強く印象に残った出来事があった。同年のシーズンでチームはリーグ優勝を決めると、日本シリーズでも近鉄バファローズを4勝1敗で下し、4年ぶりの日本一で有終の美を飾った。その年の10月25日のことだ。

 ラミレスは本拠地・神宮球場で行われた祝勝会のビールかけでチームメートたちとともに大はしゃぎしていたが、それが一段落するとなぜかスッとその場から姿を消した。「あれ? ラミちゃんがいないな」。そう思った数人のスタッフが周囲を探し回ると、ロッカールームの片隅で「ウウウ……」と誰かが声を押し殺すようにしながら泣いている声が聞こえてきた。

 実は、それがラミレスだった。彼は人目のつかない暗がりのところで、しゃがみ込みながら号泣していたのである。チームがVに輝き、うれし涙を流した助っ人はプロ野球界でかなりのレアケース。少なくとも筆者が直接取材した中ではラミレス以外に記憶がない。

 当時ヤクルトの指揮官を務めていた若松勉監督が「ある意味でラミレスは日本人以上に“フォア・ザ・チーム”の精神を貫くと言い切れる」と評していた。そう考えると、あのときラミレスが日本一達成後にひっそりと涙していたこともうなずける。

 助っ人選手の多くは契約上のインセンティブ(出来高)を追い求めてしまうがゆえに、どちらかというと「フォア・ザ・チーム」よりも「個人主義」に走りやすい傾向が見られる。だからプライドが高い上に自己中心的な性格の持ち主としてチーム内で浮いてしまうことも決して少なくはない。しかしながら、その中でもラミレスは来日1年目から異彩を放ち「超熱い男」「クソ真面目な男」などと周囲によって評されながら徐々に人望を集め、そして実力面でも認められていった。

 「誰とは言わないが、肩書きばかりスゴくても日本プロ野球界を見下すようにナメた態度で来日し、ロクに練習もしないからシーズン本番でまったく結果を出せない外国人選手もこれまでよくいた。ところがラミちゃんはまったく違った。1年目の時から『郷に入っては郷に従え』の考えを貫いて日本流の練習方法はもちろん、生活風習に至るまで事細かに覚えようとチームメートに頭を下げながら聞きまくっていた。だから彼はハイペースで日本球界にアジャスト(適合)していった」とはラミレスの獲得に尽力したヤクルトの編成担当者の弁である。

ラミレス監督の現役時代の成績(出典:日本野球機構)

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