「日本人より日本人らしい」DeNAラミレス新監督の“人間力”赤坂8丁目発 スポーツ246(3/4 ページ)

» 2016年02月10日 08時00分 公開
[臼北信行ITmedia]

“ラミレスノート”は数百冊

 2007年オフ、ラミレスは7年間在籍したヤクルトから巨人へ移籍した。それまで巨人に対してはあまりいい印象を持っていなかったものの、当時巨人の指揮官を務めていた原辰徳監督の采配に強い興味を覚えていたこともあって移籍を決意。さらに契約面でも破格の好条件を提示され、Gのユニホームに袖を通すことを決めた。このころから「いつか必ず日本のプロ野球球団で監督を務めたい」という強い思いを抱くようになっていく。

 Gの主砲として活躍する一方で、ベンチの原采配を見ながら「いい面」と「悪い面」を吸収。自分のプレーだけでなく、監督の采配に関しても自分なりに感じたことを毎日欠かさずノートに書き留めた。その“ラミレスノート”の総数は数百冊に及ぶという。いくら「超熱い男」で「クソ真面目」であっても、ここまでルーチンワークを貫ける助っ人はラミレス以外に間違いなく皆無であろう。

 この巨人時代は持ち前の選球眼の良さと打撃技術の高さを生かし、チームメートにバッティングに関してさまざまなアドバイスを送ることもいとわなかった。長野久義や坂本勇人ら未来のG打線を担う主力選手たちに対し、ラミレスが熱心に指導するシーンはこのころの巨人で比較的よく見られた光景であった。

 上から目線でモノを言ったり、自分の考えを押し付けたりするのではなく、ラミレスは必ず相手の立場と対等になってフラットに接する。これはラミレスが尊敬する人物として名前を挙げている「若松勉」と「原辰徳」の2人の監督の“いい面”を自分なりにアレンジした指導スタイルだ。長野と坂本が当時、このラミレス式指導法に「“やらされている感”がまったくないから非常に分かりやすいし、参考になります」と口をそろえていたことを昨日のことのように思い出す。

 「野球は自分1人で戦って勝てるスポーツではない。チームプレーが何よりも大切なのだ。その意識がないプレーヤーは、プロフェッショナルにはなれない。その当たり前のことを忘れてしまっている選手が日本球界全体を見渡してもまだ多くいるのは残念ながら事実。私はそういう意識もベイスターズ全体に植え付けていきたい」

 ラミレス監督は、このようにも語っていた。

横浜スタジアムの未来絵図

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